社会
Posted on 2025年10月05日 18:00

奇跡の脱北起業家〈第2回〉なぜ彼女は「平壌冷麺」と海を渡ったのか(1)平壌一等地での新生活始まる

2025年10月05日 18:00

 生まれ育った元山で友人の母の処刑を目撃したヨンヒ。残酷な記憶を封印し、エリート層の暮らす首都・平壌に引っ越した。そこは高級ブランド品も手に入る、まるで資本主義のような社会だった。好評連載第2回は知られざる平壌富裕層の生々しい実態をお届けする。

 あこがれの平壌ライフがスタートした。2005年の冬、ヨンヒ14歳のことである。住まいは平壌駅の真裏、平川区域鳳南洞、11階建てマンションの3階だった。3LDKの広さ。ペットのマルチーズも飼っていた。線路をまたぐ平川橋を渡れば、ツインタワーの高級ホテル、平壌高コ麗リョホテルがそびえている。まぎれなき首都の一等地だが、電気事情はままならない。ベランダにソーラーパネルを置き、自動車のバッテリーを使ったりしてしのいだ。

「パパはほんとうにやさしくて。だって、私のわがままのために引っ越してくれたんですからね。人民軍総政治局に所属するエリート軍人で仕事には厳しかったみたいだけど、家庭では違った。元山で暮らしていたころは、まだ暗いうちに起き、ご飯の下ごしらえをするの。ジャガイモを洗って皮をむき、ネギも切って土間にそろえておく。そこまでしたらママが起きてくるまでロウソクをつけ、労働新聞を読んでいた。お酒もタバコも大好きで、赤い箱のマルボロを吸っていた」

 娘のヨンヒがかわいくてしようがない父、文義胤だったが、元山に近い侍中湖にある高級軍人専用保養所の所長は続けていた。平壌の留守宅を守るのは母、崔順玉だ。すでに社会主義の要である配給制度は崩れ、チャンマダンと呼ばれる闇市場はなかば公認され、当局お墨付きの市場や食堂があちこちに誕生、富裕層をターゲットにしたしゃれた外貨ショップまで現れた。ヨンヒ一家は日本にいる親族からの援助もあって、いつも食卓に白米がのぼり、ショッピングも楽しめた。

「新しくできた普通江百貨店にはシャネルやアルマーニなど海外の高級ブランド品があふれ、食品売り場をのぞけば、日本のしょうゆ、本だし、梅干しまでそろっている。お金さえあれば、なんでも手に入る。外面は社会主義を装ってはいても、内面はすっかり資本主義でしたね」

 通貨はドルが主流で、中国の元、日本の円、さらにユーロも流通していた。ヨンヒの愛犬の名は「エンタラ」だった。円とドルをくっつけたネーミングセンスが、当時の平壌の空気を物語っている。

鈴木琢磨(すずき・たくま)ジャーナリスト。毎日新聞客員編集委員。テレビ・コメンテーター。1959年、滋賀県生まれ。大阪外国語大学朝鮮語学科卒。礒𥔎敦仁編著「北朝鮮を解剖する」(慶應義塾大学出版会)で金正恩小説を論じている。金正日の料理人だった藤本健二著「引き裂かれた約束」(講談社)の聞き手もつとめた。

写真/初沢亜利

カテゴリー:
タグ:
関連記事
SPECIAL
  • アサ芸チョイス

  • アサ芸チョイス
    社会
    2025年03月23日 05:55

    胃の調子が悪い─。食べすぎや飲みすぎ、ストレス、ウイルス感染など様々な原因が考えられるが、季節も大きく関係している。春は、朝から昼、昼から夜と1日の中の寒暖差が大きく変動するため胃腸の働きをコントロールしている自律神経のバランスが乱れやすく...

    記事全文を読む→
    社会
    2025年05月18日 05:55

    気候の変化が激しいこの時期は、「めまい」を発症しやすくなる。寒暖差だけでなく新年度で環境が変わったことにより、ストレスが増して、自律神経のバランスが乱れ、血管が収縮し、脳の血流が悪くなり、めまいを生じてしまうのだ。めまいは「目の前の景色がぐ...

    記事全文を読む→
    社会
    2025年05月25日 05:55

    急激な気温上昇で体がだるい、何となく気持ちが落ち込む─。もしかしたら「夏ウツ」かもしれない。ウツは季節を問わず1年を通して発症する。冬や春に発症する場合、過眠や過食を伴うことが多いが、夏ウツは不眠や食欲減退が現れることが特徴だ。加えて、不安...

    記事全文を読む→
    注目キーワード
    最新号 / アサヒ芸能関連リンク
    アサヒ芸能カバー画像
    週刊アサヒ芸能
    2025/9/30発売
    ■530円(税込)
    アーカイブ
    アサ芸プラス twitterへリンク