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記事全文を読む→二宮清純の「“平成・令和”スポーツ名勝負」〈浪速のジョー、タイ人王者を悶絶〉
「辰吉丈一郎 VS シリモンコン・ナコントンパークビュー」WBC世界バンタム級タイトルマッチ/1997年11月22日
WBA・WBC・IBF・WBO4団体統一世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥や、WBC・IBF2団体統一前世界バンタム級王者の中谷潤人を擁し、我が世の春を謳歌する日本ボクシング界だが、出口なきトンネルをさまよった時期もある。
まずは1988年1月から90年2月にかけての世界挑戦21連続失敗。黒歴史にピリオドを打ったのはチェ・ジュンファン(韓国)からWBC世界ミニマム級のベルトを奪った大橋秀行だった。
続いては96年7月から97年11月にかけての、世界挑戦16連続失敗。この時は、“浪速のジョー”の異名をとる辰𠮷丈一郎が救世主となった。
97年11月22日、大阪城ホール。辰𠮷はWBC世界バンタム級王者のシリモンコン・ナコントンパークビュー(タイ)に挑戦した。
カリスマ的人気を誇る辰𠮷だが、この試合に関する限り下馬評は低かった。なぜなら94年12月4日の薬師寺保栄戦、96年3月3日、97年4月14日のダニエル・サラゴサ(メキシコ)戦と世界戦3連敗中だったからである。世界挑戦16連続失敗の中には、自らの黒星もひとつ含まれていた。
辰𠮷のパフォーマンスが低下した理由のひとつにあげられるのが眼疾である。
91年9月11日、辰𠮷はグレグ・リチャードソン(米国)から、デビューわずか8戦目で世界タイトル(WBCバンタム級)を獲ったものの、直後に網膜裂孔が発覚、12月に手術を受け、1年間のブランクを余儀なくされた。
だが、眼疾は完治しなかった。93年7月22日には、ビクトル・ラバナレス(メキシコ)との再戦に勝利してベルトを奪い返したものの、今度は網膜剝離により再び左目にメスを入れた。
先述したように、それ以降の世界戦は3連敗。辰𠮷に往年の輝きを期待するのは酷なように思われた。
一方のシリモンコンは、これが4度目の防衛戦。19歳で王者になり、ここまで16戦全勝(6KO)。国外では初の試合だった。
後にライトヘビー級にまで階級を上げるシリモンコンは、この当時から減量に苦労していた。動きの重いシリモンコンに対し、辰𠮷はスピーディーな左ジャブで序盤から優位に立つ。
試合が動いたのは4ラウンド。左のボディブローが効力を発揮し、シリモンコンの腰がガクンと落ちる。
続く5ラウンド、辰𠮷は、さらに攻勢に出る。接近戦でボディに集中打を浴びせ、棒立ちにさせる。もはや王者はサンドバッグも同然。右ストレートで最初のダウンを奪った。
だがシリモンコンも最後の力を振り絞る。6ラウンドには、背中を丸めながらも相打ちのフックで死中に活を求めんとする。
そして迎えた7ラウンド、シリモンコンの左右フックが、正面に立つ挑戦者の顔面をとらえる。挑戦者も必死なら王者も必死だ。
打たれながらも辰𠮷は冷静だった。前に出るシリモンコンに乾坤一擲のボディブロー。レバーを射貫かれた王者は、前のめりにキャンバスにヒザを突いた。
どうにか立ち上がったものの、王者に余力は残っていなかった。辰𠮷は速射砲のような連打で試合 をフィニッシュした。
1分54秒、TKO勝ち。「呼吸ができなくなった」と敗者。辰𠮷はただ勝ったのではない。文字通り相手の息の根を止めてみせたのである。
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