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記事全文を読む→戦国時代の推し活「戦国三大美少年」それぞれの「激動人生と末路」浅香庄次郎は名前を変えて転職を繰り返し…
世の推し活ブームは花盛りだが、いい男がキャーキャー騒がれるのは、いつの時代も変わらない。血で血を洗う戦国時代でさえ、「男色無双」と呼ばれた「戦国三大美少年」「天下三大美少年」がいた。名古屋山三郎(さんざぶろう)、不破万作、そしてもうひとりが浅香庄次郎、またの名を水野少次郎、大塚左兵衛、松浦左兵衛である。
山三郎は妻・出雲の阿国とともに「歌舞伎の祖」と呼ばれる、蒲生氏郷などに仕える安土桃山時代の武将だ。主君・氏郷が初お目見えの際には女性と勘違いし、嫁に迎えるために身辺調査をした、との逸話が残っている。
だが、美人薄命ならぬ美男薄明で、氏郷亡き後は森忠政に仕えたが、森家代々の家臣である井戸宇左衛門と仲が悪く、慶長8年(1603年)に口論の末、斬り殺されている。この時、まだ28歳だったと言われている。
不破万作も悲運の人物で、豊臣秀次に小姓として仕えたため、主君が秀吉に切腹を命じられた文禄4年(1595年)、先駆けて切腹して殉死している。わずか17歳だった。
それに比べて生き延びたのが、浅香庄次郎だった。先の2人に比べてうまく立ち回り、たびたび転職を繰り返している。
当初は水野少次郎と名乗り、織田信長の次男・信雄に小姓として仕えていた。ところが信長の死後に天下を取った豊臣秀吉の時代に、信雄がトラブルで下野国那須烏山に追放になったため、木村吉清の小姓に鞍替えしている。
その吉清が失脚すると松浦左兵衛と名前を変え、蒲生氏郷に就職。山三郎と同僚になり、九戸政実の乱で九番手左の一番の将として出陣した。そして一番槍の山三郎と共に武功を挙げ。一万石で須賀川城の城主になった。
ところが蒲生家が宇都宮に転封されると行動をともにせず、今度は石田三成の家臣となっている。まったくゲンキンなものだ。
当然、慶長5年(1600年)の関ヶ原の乱にも参戦。三成の居城・佐和山城を守っていたが敗戦後、戦火に紛れて脱出し、浅香庄次郎の名前で加賀藩の前田利常に二千石で仕えている。
前職を隠すために名前を再三変える手法は、後ろめたさゆえかもしれない。転職できた理由には、庄次郎がその美貌で、当時は当たり前だった男色の相手として主君から愛されていた、との話もある。
ただ、年老いていくにつれ、容姿は衰えるものだ。庄次郎は自らが変わりゆく姿を嘆きつつ、辛い余生を送ったようだ。これは現代のアイドルたちの心境を暗示するものだったのかもしれない。
(道嶋慶)
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