落語の祖は、なんと戦国大名の実弟だった。その人物は誓願寺の第五十五世法主・安楽庵策伝上人だという。明治38年(1905年)に関根黙庵が書いた「江戸の落語」では、策伝上人を落語の祖として位置づけている。
上人は小難しくなりがちな説教や法話を面白おかしく語り、当時の京都所司代・板倉重宗の依頼で話をまとめた「醒睡笑」という書物を残している。「醒睡笑」は写本8巻8冊からなり、1039話が収録されている。これが後世、落語のネタ本とされており、初代露の五郎兵衛が元禄4年(1691年)に刊行した「軽口露がはなし」では、記載された88話中28話がこの書物に由来しているという。
策伝上人は天文23年(1554年)、茶人としても有名だった武将・金森定近の次男として、美濃・土岐郡多治見郷(現在の岐阜県多治見市)で生まれた。7歳の時に美濃の浄音寺で出家。永禄7年(1564年)、11歳で上洛し、京都の洛東大本山禅林寺、智空甫淑上人に師事して浄土宗を学んだ。出家しても1000石の領地を所有していたという。
策伝上人の兄は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という戦国の三英雄に仕え、飛騨高山藩の初代藩主となった戦国大名の金森長近。これも茶人で、茶の湯の宗匠・千利休の弟子だった。
だが、策伝上人には謎の部分が多く、秀吉のそばで話し相手や書物の解説をする御伽衆の曽呂利新左衛門だったという話も残っている。仮に策伝上人がいなければ落語は生まれず、日曜日の夕方に放送される長寿演芸番組「笑点」もなかった。当然、あの大喜利もない。そう考えると、功績は実に大きい。
(道嶋慶)