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記事全文を読む→「鰻丼」を考案した江戸時代の芝居興行主「大久保今助」2つのオモシロ説「船が出るぞ!」の声に慌てて…
日本人の大好物「鰻丼」を発明、考案した人物を知っているだろうか。大久保今助だ。
宝暦7年(1757年)、常陸の国久慈郡亀作村(現・茨城県常陸太田市亀作町)の農民・文蔵の子として生まれた今助は、江戸に出て商人となり、大成功を収めた。その後、財政が悪化していた水戸藩に多額の献金をしたことから、士分に取り立てられている。
今助は無類の芝居好きで当時、江戸の日本橋にあった歌舞伎の芝居小屋「中村座」などに資金を融通するなど、金主つまりスポンサー、興行主として有名になっていた。芝居が大入りになると裏方にまで祝儀を振る舞うほど、気風のいい江戸っ子気質の人物であり、無類の鰻好きだった。
当時、鰻は蒲焼とご飯を別々に提供されるスタイルだったという。ところがある日、鰻丼スタイルを思い立ったらしい。幕末の書物「俗事百工起源」などに記録があり、主に2つの説が存在する。
当時の鰻丼はかけそば1杯16文の4杯分に相当する64文
仕事の合間によく鰻の出前を取っていたが、届くまでに冷めてしまうため「温かいご飯の上に蒲焼を乗せて蓋をすれば、冷めにくいだろう」と思いついた。これが芝居小屋の周辺(現在の日本橋人形町付近)で大評判となり、一般に広がったとされる説。
あるいは、今助が江戸から故郷へ向かう途中、鰻が獲れる牛久沼(現在の茨城県龍ケ崎市、牛久市)の茶屋で、鰻と丼飯を注文した。ところが食べる直前に「船が出るぞ!」と言われたため、慌てて丼飯の上に鰻のかば焼きの皿をひっくり返して蓋をしたところ、ご飯の熱で鰻がふっくらと蒸され、タレがご飯にほどよく染み込んでいた…という説だ。
今助が考案したこの食べ方は、葺屋町(現在の人形町)にあった鰻屋「大野屋」が「元祖うなぎ飯」として売り出したところ、大人気になった。当時の鰻丼は、かけそば1杯16文(400~500円)の4杯分に相当する64文だった。
初鰹に1両(約10万~15万円)も払う江戸っ子なら、64文は惜しくない金額だろう。鰻丼の元祖は偶然の産物で、ラッキーだったのだ。
(道嶋慶)
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