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記事全文を読む→【世界の最凶独裁者列伝】「モンゴルのスターリン」はでっちあげの罪を乱発して全人口の5%の国民を消し去った
モンゴルの首都ウランバートルにそびえ立つ、威風堂々とした銅像。「建国の英雄」とされる一方、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンの傀儡として、政権に反旗を翻す僧侶や知識人などを大粛清したのが、「モンゴルのスターリン」と恐れられた独裁者ホルローギーン・チョイバルサンだ。
19歳でロシアに留学。帰国後は独立運動に身を投じ、ソ連の赤軍と接触したチョイバルサンは、ソ連主導の革命運動に深く巻き込まれてくことになる。
その後、政界に打って出たこの男が内務大臣や軍総司令官、そして首相を歴任する中、直に指導を仰いだのがモスクワのNKVD(内務人民委員部)、つまり秘密警察だった。
モンゴルの政権運営に本家スターリンの冷酷さをそのまま完全移植した、この男の残虐性が最も色濃く現れたのは、モンゴルの精神的支柱とされていたチベット仏教の徹底的な弾圧だった。
チョイバルサンはNKVDの指示そのままに「反革命分子」「日本のスパイ」というでっち上げの罪名を乱発。国内に約800あった寺院のほぼ全てを焼き払い、破壊し尽くしたというのだから、およそ正気の沙汰ではない。
連行された上級ラマ僧や修道僧たちには、とうてい裁判とは呼べない短時間の審理により、次々と死刑判決が下された。犠牲者の遺体は無造作に野山に投げ捨てられ、後年の発掘調査では、後頭部を一発の銃弾で撃ち抜かれた無数の人骨が発見されたという。
スターリンによる毒殺説が根強く残る
資料によれば、チョイバルサンが1937年から1939年までの間に殺害、収容所送りにした犠牲者は2万人から3万5000人以上。当時、モンゴルの総人口が70万人から90万人程度とされることから、この常軌を逸した独裁者により、わずか数年の間になんと全人口の2~5%にあたる人間が消されたことになる。
卑劣極まるのは、自らの出世と権力掌握のため、ともに革命を戦ったかつての同志たちを躊躇なく裏切り、抹殺していったこと。その中には前首相や国防相が含まれており、彼らは「ソ連に逆らう裏切り者」「日本の間諜」という濡れ衣を着させられ、次々と粛清されていったのである。
チョイバルサンは首相だけにとどまらず、外相、全軍総司令官、内相の職を独占。名実ともに絶対不可侵の独裁者としてモンゴルに君臨することになったのだ。
だが、どれほど国民の血を流そうとも、師であり絶対的恐怖の対象だったスターリンの呪縛から解き放たれることはなかった。
スターリンの誕生祝賀会に参加するため赴いたモスクワで急死したのは、1952年1月のことだった。享年56。死因はガンとされるが、晩年、狂気に苛まれていたスターリンによる毒殺説が今なお、根強く囁かれている。
(山川敦司)
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