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記事全文を読む→【世界の最凶独裁者列伝】明王朝の皇帝・朱元璋が実行した前代未聞の大粛清の方法は「剥皮刑」「烹刑」「凌遅刑」
中国の歴史上において最も劇的な成り上がりを成し遂げた男、それが明王朝を創設し、史上類を見ないほどの強烈な独裁と恐怖政治を敷いた皇帝、朱元璋だ。
1328年、安徽省の貧しい農村に生まれた彼は、たび重なる天災や飢饉により、両親や家族が相次いで餓死。生き延びるために寺の僧侶となったものの、結局は各地をさまよう物乞いや流民として、泥水をすするような少年時代を過ごすことになる。
そんな底辺の生活で培われたのは、強靭な生存本能と人間洞察力だった。1352年、反乱軍である紅巾の乱に加わり、すぐに頭角を現すと数々の猛将を配下に収め、ライバルたちを次々に撃破。江南の地盤を固めて1368年、ついに元の首都である大都を制圧し、明王朝を建国することになる。
独裁者となった皇帝の根底にあったのは、社会の最底辺で辛酸をなめてきた強烈なコンプレックスと、臣下に対する底知れぬ不信感だった。朱元璋は自分が成り上がってきた過去を知る古参功臣たちが、自らの権力を脅かすのではないかと恐れ、政治の全てを皇帝個人に集中させようと目論む。
そして1380年、宰相だった胡徳海に謀反の罪を擦り付けて処刑。それを皮切りに、宰相府に関わる者や関係者を次々に逮捕して拷問にかけた。これが10万人超を血祭りにあげた大粛清「胡惟庸の獄」の始まりである。
やがて粛清の波は、権力者や政治犯から家族や親族、ついには無関係な一般民衆へと際限なく拡大していくことになるのだが、とりわけ残虐を極めたのが、1393年に起きた「藍玉の獄」だった。
この粛清により、かつてともに天下を創り上げた開国の功臣のほとんどが命を奪われ、中には命を救ってくれた恩人や、わずかな失言をしただけの官僚も含まれていた。
役人たちは涙を流しながら「今日も無事に生き延びられた」
しかもその粛清方法は、極めて残虐だった。「剥皮刑」と称して全身の皮を肉から生きたまま剥ぎ取り、そこに藁や人形を詰め込む。さらに見せしめとして、役所の壁や天井に吊るし上げた。
あるいは大釜で湯や油をたぎらせ、生きたまま人を投げ込む「烹刑」。さらには体に格子状の切れ目を入れられ、徐々に肉を削ぎ落とされる「凌遅刑」の呻き声が連日、城内で響き渡っていたという。
役人たちは毎朝、着物の中に遺書を忍ばせて宮殿へ向かい、無事に生きて門をくぐり抜けると、帰宅後には家族と抱き合って涙を流しながら「今日も生き延びられた」と神仏に感謝したそうである。
物乞いから這い上がり、一代で明王朝を創設した朱元璋。しかしその礎は、この最凶独裁者の権力欲と底知れぬ猜疑心により流された、数え切れないほどの血によって築かれたものだった。
(山川敦司)
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