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記事全文を読む→夏の甲子園でスターになれなかった男たち(11)「松坂二世」涌井秀章が味わった「屈辱のメッタ打ち」
13年オフにFAで埼玉西武から千葉ロッテへ移籍。昨シーズンは自身3度目のパ・リーグ最多勝を獲得するなど、今やリーグを代表する右腕となった涌井秀章。そんな涌井は横浜(神奈川)への入学時から「松坂大輔二世」と呼ばれていたほど期待された投手だった。
甲子園には春夏で2度出場しているが、初めてその土を踏んだのは03年の春の選抜。このときの背番号は10。エース・成瀬善久(現・ヤクルト)から涌井へのリリーフ継投がこの年の横浜の必勝パターンだった。
この継投リレーがはまった横浜は決勝戦まで勝ち進む。その間、涌井は6回1/3イニングを投げ、失点&自責点ともに0と、パーフェクトリリーフを見せていた。
そして迎えた決勝戦。相手は古豪・広陵(広島)である。この大一番で涌井は今大会初の先発マウンドへ登ることとなった。疲労の色が濃いエース・成瀬の先発を回避したのである。だが、この決断が裏目に出てしまった。初回にいきなり涌井は先制の2ランを被弾。その後も広陵打線の勢いは止まらず、結局、涌井は3回2/3イニングを投げ被安打9の6失点。試合は3-15の完敗だった。
このときの屈辱から1年4カ月。涌井は横浜のエースナンバーを背負って、そしてMAX148キロを誇る大会屈指のプロ注目右腕となって再び甲子園に帰ってきた。04年の夏の選手権。なんと涌井は3試合連続の2ケタ奪三振を記録する。報徳学園(兵庫)から10個、京都外大西から14個、明徳義塾(高知)との試合は相手の6番・中田亮二(元・中日)に本塁打を浴びるなど、5回を終わって2点のリードを許す苦しい展開も、後半に味方打線が底力を発揮し、6~9の4イニングで5点を取り、逆転に成功。涌井も後半調子を上げ、5者連続を含む12奪三振の熱投でベスト8進出を果たしたのである。
迎えた準々決勝。相手は初戦から7-3、7-6と打ち勝ってきた駒大苫小牧(南北海道)。この強力打線をどう涌井が抑えるかに注目が集まったが、試合は思わぬ展開となってしまった。なんと涌井が駒苫の2年生・林裕也に大会史上5人目となるサイクルヒットを許すなど、7回を被安打14、6失点と打ち込まれてしまったのだ。
それでも数字のうえでは4試合で36回を投げ、被安打36、40奪三振、与四死球6、防御率2.75。“松坂二世”ここにあり! を証明するに十分な数字を残して甲子園を去って行ったのだった。
(高校野球評論家・上杉純也)
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