球審の砂川恵玄が右手を大きく上げた。試合再開の合図だ。足立光宏が打者のいない打席に1球投げた。
そこで砂川がプロ野球史上6度目、1950年の2リーグ分立後4度目の「没収試合」を宣告した。
1971年7月13日、西宮球場での阪急(現オリックス)対ロッテ10回戦。濃人渉が指揮を執るロッテが西本幸雄率いる首位阪急を5ゲーム差で追う1戦は、2万1000人のファンが詰めかけていた。
2点のビハインドで迎えた7回表、先頭の打席に入ったのは江藤慎一だった。阪急の先発・足立が2-1(現在の1-2)と追い込んだ。
4球目は外角のスライダー。江藤のスイングはハーフスイングとなった。
砂川が「ボール」の判定。これに捕手の岡村浩二が「えっ、ボール? 振ったじゃないか」とアピールすると、「ストライク、バッターアウト」と判定を変えて三振となった。
いちばんよく見える三塁から、コーチの矢頭高雄が猛ダッシュして砂川に体当たりした。退場がコールされた。この時20時33分。
これで騒ぎが大きくなった。一、三塁側の観客席から一部のファンが手当たり次第に物を投げ込んだ。
グラウンドで審判、監督、コーチ、警官、そしてファンがホーム付近で入り乱れて収拾がつかない。
阪急ファンの1人が江藤の顔面を殴りつけた。怒った江藤がヘルメットを投げて、蹴り返す一幕もあった。
濃人は判定に対し「これでは試合をできない」と審判団に強く抗議した。再開してほしいという説得に応じなかった。選手たちをベンチに引き揚げさせた。
実はこの事態を受けて、試合を観戦していたオーナーの中村長芳が「判定が元に戻らないのなら、試合を放棄してよい」と球団代表を通して濃人に伝えていた。
21時8分、大騒動は幕を降ろした。
試合は規定によりスコア9対0で阪急の勝利となった。適用された野球規則は以下の通りだ。
〈四・一五 一方のチームが次のことを行った場合は、フォーフィッテッドゲーム(放棄試合)として相手チームに勝ちが与えられる。(中略)(d)一時停止された試合を再開するために、審判員がプレーを宣告してから一分以内に競技を再開しなかった場合〉
ロッテは敗れたばかりではなく、多大なペナルティが科された。
連盟は21日、ロッテに対して制裁金200万円、濃人に15万円の罰金、さらに阪急から借りてファンに傷つけられた選手バス、球場の物品の紛失・破損など阪急への賠償金は約300万円となった。
それとは別に主催球団の阪急は入場料の弁償金(金額未発表)を受けた。
プロ野球は68年に「没収・放棄試合は厳禁」の申し合わせをしており、ロッテはそれに違反しての罰金だった。
当時としてはかなりの高額だ。放棄試合は球場に詰めかけたファン不在の最悪の行為だ。球史にも残る。
ロッテへの世間の反応は想像以上に厳しかった。中村は元総理・岸信介の元秘書である。世間の動向に敏感だ。会見を開いて陳謝した。
中村はロッテが7月22、23日の地元・東京球場での対阪急2連戦に14-4、11-2と大敗してゲーム差が8になると23日、驚きの電撃人事を発表した。
濃人の更迭に踏み切ったのである。2軍監督への降格となった。後任は、それまで2軍監督を務めた39歳の大沢啓二だった。
「理由はあくまでも優勝街道を進みたい。この一念で断行した」
つまり人心一新だ。「今のスタッフでは優勝できない」という。
しかし阪急と8ゲーム差とはいえ、勝率6割2分5厘の2位、まだ56試合もあった。優勝の可能性を残している。しかも濃人は前年度の優勝監督である。
ロッテの監督として5年目の56歳、濃人は潔かった。
「8ゲーム差の責任は当然取るべきだった。私に代わって監督をやってくれる大沢君も若いし、ウチの選手も若い。思い切ってぶち当たっていけば、いい結果が出るのではないかと思っている」
その大沢は24日から指揮を執ると、11日間で首位阪急からの8ゲーム差を0とした。中村は8月3日、大沢と5年契約を結んだ。
2リーグ分立後、最初の放棄試合は50年8月、富山での南海対大映(現ロッテ)戦だった。
9回表、大映の攻撃で代打・板倉正男の中飛を巡って、捕ったと主張した南海が守備につかなかった。
次は54年7月、大阪球場での阪神対中日戦である。延長10回裏、阪神の代打・真田重蔵が振った球を三振かファウルかで揉めた。
抗議で暴力行為に及んで退場を命じられていた、藤村富美男が打席に入ろうとして再び紛糾。審判団は主催球団の不手際もあったとし、没収試合となった。
阪神は67年9月の大洋戦でも試合を放棄した。1回、大洋・森中千香良の三振振り逃げを巡る判定からだった。
1リーグ時代には2試合あった。46年と47年で、いずれも宿舎付近の雨で試合に不参加という、現在では考えられない理由からだった。
5年契約を結んだ大沢はこのシーズンを2位で終えたが、翌年は5位に落ちた。
ロッテはオフにオーナーが中村から重光武雄に交代し、金田正一の招へいを決めたため、5年契約は違約金を受け取ることを条件に破棄・解雇となった。
71年のロッテの放棄試合以降、新聞にたびたび「あわや」の文字が躍ったものの、中途半端に試合が終了することは現実に至っていない。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。