野村克也が放った打球はバックスクリーンにグングン伸びて小さくなり、中段に消えて行った。逆転サヨナラ満塁本塁打である。とてつもなく大きな一発だった。本塁を踏んだ野村は興奮しながらこう言った。「ホンマにえらいこっちゃ」野球はツーアウトから─。ゲ...
記事全文を読む→猪狩雷太
1966年5月1日、広島市民球場での広島対大洋(現DeNA)6回戦だった。大洋の先発右腕・佐々木吉郎は9回裏、27人目の打者、阿南準郎を1ボール2ストライクと追い込んでいた。阿南が真っすぐを振り抜くと打球は右翼・黒木基康のグラブに収まった。...
記事全文を読む→「神様」の生涯1度の退場劇だった。1974年7月9日、川崎球場での大洋(現DeNA)対巨人11回戦の2回表、巨人の攻撃中にそれは起こった。打席に立っていたのは右打者の河埜和正。巨人キラー・平松政次が投じた初球は、厳しい内角へのシュートだった...
記事全文を読む→17歳の新人投手が初々しい笑顔を浮かべた。「いま、ボク絶好調ですからね」浪商高校(現大阪体育大学浪商高校)出身、「怪童」と呼ばれた東映(現日本ハム)の尾崎行雄である。1962年4月29日、福岡・平和台球場での西鉄(現西武)対東映のダブルヘッ...
記事全文を読む→広島市民球場のざわめきは収まるどころか、ますます大きくなっていった。1963年5月25日、広島対巨人3連戦の初戦、4回表1死二塁。中堅で途中出場していた柴田勲がこの試合、初の打席に入った。プロ2年目の19歳である。観衆は「アッ‥‥?」と驚い...
記事全文を読む→ミスタープロ野球・長嶋茂雄が北京の青空に3本のアーチを描いた。45歳、真っ白なユニホーム姿が躍動していた─。1981年6月21日、長嶋は中国棒球協会の招待で夫人の亜希子を伴い成田空港から北京に旅立った。秋に開催される日中対抗戦のために来日す...
記事全文を読む→「どんな守り方をしてもあんな大物を打たれたのでは役に立ちませんな‥‥」1964年5月5日、後楽園球場で巨人対広島のダブルヘッダーが行われた。第2試合は午後7時17分に始まった。7回裏、1点を追う巨人は、3番・王貞治が鵜狩道旺からバックスクリ...
記事全文を読む→1975年4月5日、この年もセ・パ両リーグが華々しく開幕した。話題を一身に集めていたのは巨人の新監督・長嶋茂雄だった。初陣である。後楽園に迎える大洋(現DeNA)の秋山登もまた新監督だ。と同時に、プロ野球ファンにはもう1つ、大きな関心事があ...
記事全文を読む→仲間たちによる、祝福の胴上げは終わらない。満員の後楽園球場が揺れた。ひっくり返るような大騒ぎとなった。大ヒーロー、巨人・樋笠一夫が輪の中心にいた。中日のエース・杉下茂が背を向けたままベンチに戻った。1956年3月25日、後楽園球場での巨人対...
記事全文を読む→巨人・藤本英雄は打席に向かおうとした打者を見ると、「ヨシッ!」と気合を入れた。9回表2死無走者。ここで抑えれば日本プロ野球史上初の完全試合達成だが、宿敵の登場だ。「えっ‥‥」しかし、次に思いがけないシーンが目に飛び込んできた─。1950年6...
記事全文を読む→国鉄(現ヤクルト)の若き左腕エース・金田正一の「怒りの1球」は捕手の頭上1メートルを越え、バックネットに当たってグラウンドに転がった─。三塁からサヨナラの走者が本塁を踏んだ。金田は怒りが収まらない。400勝という前人未踏の大記録を樹立した金...
記事全文を読む→「歴史的1勝」の翌日には、プロ野球史上に残る「歴史的大敗」が待っていた。2005年3月27日、千葉マリンスタジアムでの開幕2連戦、ロッテ対楽天の2戦目は楽天が26対0と惨敗した。楽 0 0 0 0 0 0 0 0 0 =0ロ 2 11 1 ...
記事全文を読む→絵に描いたような返り討ちだった。ダイエー(現ソフトバンク)の監督・王貞治の眉間に刻まれたシワが深い。「一方的な試合にならなかったし、まあまあ負けたけど手応えはあった‥‥」1996年3月30日の千葉マリン(現ZOZOマリン)、ロッテ対ダイエー...
記事全文を読む→監督の長嶋茂雄はベンチで頭を抱えていた。ぼう然とし、あきれ返っていた。1994年3月5日、ダイエー(現ソフトバンク)対巨人のオープン戦が行われた北九州市民球場には、春の訪れを感じさせる風が吹いていた。4月9日の開幕まであと1カ月少々である。...
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