「歴史的1勝」の翌日には、プロ野球史上に残る「歴史的大敗」が待っていた。2005年3月27日、千葉マリンスタジアムでの開幕2連戦、ロッテ対楽天の2戦目は楽天が26対0と惨敗した。楽 0 0 0 0 0 0 0 0 0 =0ロ 2 11 1 ...
記事全文を読む→猪狩雷太
絵に描いたような返り討ちだった。ダイエー(現ソフトバンク)の監督・王貞治の眉間に刻まれたシワが深い。「一方的な試合にならなかったし、まあまあ負けたけど手応えはあった‥‥」1996年3月30日の千葉マリン(現ZOZOマリン)、ロッテ対ダイエー...
記事全文を読む→監督の長嶋茂雄はベンチで頭を抱えていた。ぼう然とし、あきれ返っていた。1994年3月5日、ダイエー(現ソフトバンク)対巨人のオープン戦が行われた北九州市民球場には、春の訪れを感じさせる風が吹いていた。4月9日の開幕まであと1カ月少々である。...
記事全文を読む→ビッグ・エッグに足を踏み入れた観客はコートを脱いだ。外とは違って、ドーム球場内はまるで初夏を思わせる気温である。1988年4月8日、この年のプロ野球開幕日だ。前夜から東京をはじめ関東地方では雪が降り始め、やがて大雪となった。都心の積雪は9セ...
記事全文を読む→甲子園の大歓声は止まない。阪神・小林繁の目に光るものがあった。1979年4月10日、阪神対巨人1回戦。小林は移籍初勝利を、昨年まで在籍していた巨人から挙げた。「勝ってよかった。とにかく、今日のゲームは勝ちたかった」巨 0 0 0 1 1 1...
記事全文を読む→1991年3月8日の夕刻、ナゴヤ球場内に設けられた記者会見場には、約100人の報道陣が詰めかけていた。主役の落合博満は着席すると、こう切り出した。「代表質問はいいでしょ。ボクが話して終わりです。それでいいでしょ」落合はロッテから中日に移籍し...
記事全文を読む→イチローは恐ろしいまでに集中力を高めていた。それは見るものに伝わっていた。2009年3月24日(日本時間、以下同)、「第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)」の決勝戦、韓国対日本はともに一歩も引かず延長戦に突入した。日本は10回...
記事全文を読む→日本を代表監督として率いた王貞治、65歳が米国サンディエゴのペトコ・パークで宙に舞った。2006年3月21日(日本時間、以下同)、「第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)」の決勝で、日本はキューバを10対6で破り、「初代王者」と...
記事全文を読む→真っ赤に燃える太陽もいつかは沈む。“ミスタープロ野球”長嶋茂雄が2025年6月3日、89歳の生涯を閉じた。その死を悼む声は絶えない─。川上哲治が一度ボックスを外すと、三塁走者である新人の長嶋茂雄に目配せをした。マウンド上には小山...
記事全文を読む→1963年12月26日、年の瀬が迫った日の夕刻、大阪梅田の阪神電鉄本社は報道陣でごった返していた。プロ野球史上、今後も語り継がれるであろう、阪神の大エース・小山正明と大毎(現ロッテ)の主砲・山内一弘とのトレード発表である。ネームバリューやト...
記事全文を読む→「1粒で2度おいしい」とはまさにこのことだ。同一試合で「勝ち投手」と「セーブ投手」を独り占めにした男がいた。日本ハムの高橋直樹である。この珍記録は、91年に及ぶ日本のプロ野球史上唯一のものである。1974年8月18日、日生球場での近鉄(現オ...
記事全文を読む→どんなに偉大な投手でも、シーズンでは何度か負けるものだ。だが、ただの一度も負けなかった投手がいる。レギュラーシーズンを24勝無敗1セーブで終えたのだ。2013年、プロ7年目の楽天・田中将大(現巨人)である。9月13日、Kスタ宮城での楽天対オ...
記事全文を読む→広島の左腕・川口和久がガッツポーズを作ると、指揮官・古葉竹識が満面の笑みで出迎え、握手を交わした。1984年10月27日、後楽園球場で行われた広島対ボルチモア・オリオールズの「日米親善野球」第1戦で、川口が1‒0の完封勝利を飾った。オ 0 ...
記事全文を読む→それは今なお、1950年から始まった日本シリーズ(当初は日本ワールド・シリーズの呼称)において、「危険球退場」を除くとたった一度の退場劇として残っている。69年10月30日、後楽園球場での巨人対阪急(現オリックス)第4戦だった。阪 0 1 ...
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