甲子園の大歓声は止まない。阪神・小林繁の目に光るものがあった。1979年4月10日、阪神対巨人1回戦。小林は移籍初勝利を、昨年まで在籍していた巨人から挙げた。「勝ってよかった。とにかく、今日のゲームは勝ちたかった」巨 0 0 0 1 1 1...
記事全文を読む→猪狩雷太
1991年3月8日の夕刻、ナゴヤ球場内に設けられた記者会見場には、約100人の報道陣が詰めかけていた。主役の落合博満は着席すると、こう切り出した。「代表質問はいいでしょ。ボクが話して終わりです。それでいいでしょ」落合はロッテから中日に移籍し...
記事全文を読む→イチローは恐ろしいまでに集中力を高めていた。それは見るものに伝わっていた。2009年3月24日(日本時間、以下同)、「第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)」の決勝戦、韓国対日本はともに一歩も引かず延長戦に突入した。日本は10回...
記事全文を読む→日本を代表監督として率いた王貞治、65歳が米国サンディエゴのペトコ・パークで宙に舞った。2006年3月21日(日本時間、以下同)、「第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)」の決勝で、日本はキューバを10対6で破り、「初代王者」と...
記事全文を読む→真っ赤に燃える太陽もいつかは沈む。“ミスタープロ野球”長嶋茂雄が2025年6月3日、89歳の生涯を閉じた。その死を悼む声は絶えない─。川上哲治が一度ボックスを外すと、三塁走者である新人の長嶋茂雄に目配せをした。マウンド上には小山...
記事全文を読む→1963年12月26日、年の瀬が迫った日の夕刻、大阪梅田の阪神電鉄本社は報道陣でごった返していた。プロ野球史上、今後も語り継がれるであろう、阪神の大エース・小山正明と大毎(現ロッテ)の主砲・山内一弘とのトレード発表である。ネームバリューやト...
記事全文を読む→「1粒で2度おいしい」とはまさにこのことだ。同一試合で「勝ち投手」と「セーブ投手」を独り占めにした男がいた。日本ハムの高橋直樹である。この珍記録は、91年に及ぶ日本のプロ野球史上唯一のものである。1974年8月18日、日生球場での近鉄(現オ...
記事全文を読む→どんなに偉大な投手でも、シーズンでは何度か負けるものだ。だが、ただの一度も負けなかった投手がいる。レギュラーシーズンを24勝無敗1セーブで終えたのだ。2013年、プロ7年目の楽天・田中将大(現巨人)である。9月13日、Kスタ宮城での楽天対オ...
記事全文を読む→広島の左腕・川口和久がガッツポーズを作ると、指揮官・古葉竹識が満面の笑みで出迎え、握手を交わした。1984年10月27日、後楽園球場で行われた広島対ボルチモア・オリオールズの「日米親善野球」第1戦で、川口が1‒0の完封勝利を飾った。オ 0 ...
記事全文を読む→それは今なお、1950年から始まった日本シリーズ(当初は日本ワールド・シリーズの呼称)において、「危険球退場」を除くとたった一度の退場劇として残っている。69年10月30日、後楽園球場での巨人対阪急(現オリックス)第4戦だった。阪 0 1 ...
記事全文を読む→「ああっ、なんてこった‥‥!」中日監督・近藤貞雄の怒りが一瞬にして沸点に達した。だが、ここは落ち着くしかなかった。その怒りは持って行き場がなかった。日本シリーズの行方を決めた。いまだにこう語り継がれる「珍事件」は1982年10月28日、西武...
記事全文を読む→321111313‥‥9個並んだ数字を全部足すと「16」。これはプロ野球の新記録の数字だ。1994年7月1日、西武球場での西武対近鉄(現オリックス)12回戦、近鉄のエース・野茂英雄が作った1試合最多与四球数である。92年に同じ西武球場で、日...
記事全文を読む→一塁でリードを取った福本豊に、野崎恒男は牽制球を繰り返し続けた。1度、2度、3度‥‥7度、福本の集中心をかき乱すのが狙いだ。打席の住友平の3球目、福本は風を切って飛び出した。「ゴー、ゴー!」と叫んでいた1万8000人のファンがその背中を追っ...
記事全文を読む→近鉄、いや日本球界の左腕エース・鈴木啓示にとって、1984年は最も脚光を浴びたメモリアルイヤーとなった。9月1日、大阪球場での南海(現ソフトバンク)対近鉄の第22回戦。2回裏無走者、早くも“ヤマ場”が訪れた。鈴木が史上4人目の3...
記事全文を読む→
