1975年4月5日、この年もセ・パ両リーグが華々しく開幕した。話題を一身に集めていたのは巨人の新監督・長嶋茂雄だった。初陣である。後楽園に迎える大洋(現DeNA)の秋山登もまた新監督だ。と同時に、プロ野球ファンにはもう1つ、大きな関心事があ...
記事全文を読む→猪狩雷太
仲間たちによる、祝福の胴上げは終わらない。満員の後楽園球場が揺れた。ひっくり返るような大騒ぎとなった。大ヒーロー、巨人・樋笠一夫が輪の中心にいた。中日のエース・杉下茂が背を向けたままベンチに戻った。1956年3月25日、後楽園球場での巨人対...
記事全文を読む→巨人・藤本英雄は打席に向かおうとした打者を見ると、「ヨシッ!」と気合を入れた。9回表2死無走者。ここで抑えれば日本プロ野球史上初の完全試合達成だが、宿敵の登場だ。「えっ‥‥」しかし、次に思いがけないシーンが目に飛び込んできた─。1950年6...
記事全文を読む→国鉄(現ヤクルト)の若き左腕エース・金田正一の「怒りの1球」は捕手の頭上1メートルを越え、バックネットに当たってグラウンドに転がった─。三塁からサヨナラの走者が本塁を踏んだ。金田は怒りが収まらない。400勝という前人未踏の大記録を樹立した金...
記事全文を読む→「歴史的1勝」の翌日には、プロ野球史上に残る「歴史的大敗」が待っていた。2005年3月27日、千葉マリンスタジアムでの開幕2連戦、ロッテ対楽天の2戦目は楽天が26対0と惨敗した。楽 0 0 0 0 0 0 0 0 0 =0ロ 2 11 1 ...
記事全文を読む→絵に描いたような返り討ちだった。ダイエー(現ソフトバンク)の監督・王貞治の眉間に刻まれたシワが深い。「一方的な試合にならなかったし、まあまあ負けたけど手応えはあった‥‥」1996年3月30日の千葉マリン(現ZOZOマリン)、ロッテ対ダイエー...
記事全文を読む→監督の長嶋茂雄はベンチで頭を抱えていた。ぼう然とし、あきれ返っていた。1994年3月5日、ダイエー(現ソフトバンク)対巨人のオープン戦が行われた北九州市民球場には、春の訪れを感じさせる風が吹いていた。4月9日の開幕まであと1カ月少々である。...
記事全文を読む→ビッグ・エッグに足を踏み入れた観客はコートを脱いだ。外とは違って、ドーム球場内はまるで初夏を思わせる気温である。1988年4月8日、この年のプロ野球開幕日だ。前夜から東京をはじめ関東地方では雪が降り始め、やがて大雪となった。都心の積雪は9セ...
記事全文を読む→甲子園の大歓声は止まない。阪神・小林繁の目に光るものがあった。1979年4月10日、阪神対巨人1回戦。小林は移籍初勝利を、昨年まで在籍していた巨人から挙げた。「勝ってよかった。とにかく、今日のゲームは勝ちたかった」巨 0 0 0 1 1 1...
記事全文を読む→1991年3月8日の夕刻、ナゴヤ球場内に設けられた記者会見場には、約100人の報道陣が詰めかけていた。主役の落合博満は着席すると、こう切り出した。「代表質問はいいでしょ。ボクが話して終わりです。それでいいでしょ」落合はロッテから中日に移籍し...
記事全文を読む→イチローは恐ろしいまでに集中力を高めていた。それは見るものに伝わっていた。2009年3月24日(日本時間、以下同)、「第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)」の決勝戦、韓国対日本はともに一歩も引かず延長戦に突入した。日本は10回...
記事全文を読む→日本を代表監督として率いた王貞治、65歳が米国サンディエゴのペトコ・パークで宙に舞った。2006年3月21日(日本時間、以下同)、「第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)」の決勝で、日本はキューバを10対6で破り、「初代王者」と...
記事全文を読む→真っ赤に燃える太陽もいつかは沈む。“ミスタープロ野球”長嶋茂雄が2025年6月3日、89歳の生涯を閉じた。その死を悼む声は絶えない─。川上哲治が一度ボックスを外すと、三塁走者である新人の長嶋茂雄に目配せをした。マウンド上には小山正明が立って...
記事全文を読む→1963年12月26日、年の瀬が迫った日の夕刻、大阪梅田の阪神電鉄本社は報道陣でごった返していた。プロ野球史上、今後も語り継がれるであろう、阪神の大エース・小山正明と大毎(現ロッテ)の主砲・山内一弘とのトレード発表である。ネームバリューやト...
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