スポーツ
Posted on 2025年10月05日 06:00

プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈福本豊が日本人唯一のシーズン3ケタ盗塁達成〉

2025年10月05日 06:00

 一塁でリードを取った福本豊に、野崎恒男は牽制球を繰り返し続けた。

 1度、2度、3度‥‥7度、福本の集中心をかき乱すのが狙いだ。打席の住友平の3球目、福本は風を切って飛び出した。

「ゴー、ゴー!」と叫んでいた1万8000人のファンがその背中を追った。スピードに乗った。野村克也からの送球をあざ笑うかのようにかいくぐり、右足を伸ばして二塁に滑り込んだ。

 二塁塁審の久保山和夫が両手を広げた。

 1962年にドジャースのモーリー・ウィリスが記録した104盗塁を上回る、105盗塁のシーズン最多盗塁世界新記録を日本人が樹立した瞬間だった。

 72年9月26日、西宮球場での阪急(現オリックス)対南海(現ソフトバンク)23回戦だった。

 1回の第1打席は左邪飛、3回の第2打席で遊撃内野安打を放ち、出塁していた。

南 0 0 0 0 0 0 3 0 0=3
阪 0 1 0 1 0 2 1 1 ×=6

 拍手と歓声は止まない。福本は大記録を達成した二塁ベースを引っこ抜くと、右手で高々と掲げた。

「ファンの皆様、ご声援ありがとうございました」

 プロ4年目、24歳の両目には光るものがあった。

「今日は優勝を決めましたし、とりあえずホッとしました」とも。この日、阪急は南海に勝ち、2年連続5度目のリーグ優勝を果たした。福本の世界新記録が花を添えたのだ。

 10月5日のロッテ戦でも二盗を決めて、106盗塁でシーズンを終えた。

 この年のパ・リーグは福本によって幕が開き、福本によって閉じられた。

 阪急は7月、福本の足に1億円の保険をかけた。

 シーズン3ケタ盗塁は91年に及ぶ日本プロ野球でただ1人の記録である。

 プロ野球の記録で今後、絶対に破られないであろうと言われるものが3つある。王貞治の868本塁打、金田正一の400勝、そして福本の1065盗塁だ。

 それぞれの第2位は本塁打が野村の657本、投手の勝利数は米田哲也の350勝だ。盗塁は広瀬叔功の596個で、福本と広瀬の間には実に469個という高い壁があるのだ。

 ちなみに3位は柴田勲の579個。これは今でもセ・リーグ記録だ。福本は3歳年上の柴田にライバル心を燃やした。

「柴田さんが1個走れば2個走ってやろう」

 同じ盗塁王でも、同じ1番の巨人の柴田だけが騒がれる。これが世界の冠への大きな原動力となった。

 福本は47年生まれ。大阪府東大阪市出身で大鉄高(現阪南大学高)から松下電器(現パナソニック)を経て、68年ドラフト7位で阪急に入団した。

 169センチ、68キロとプロ野球選手としては小柄である。プロ入り当初はまったく期待されていなかったという。だが西本幸雄監督は俊足を評価し、外野のレギュラーとなった。

 初盗塁は69年4月13日の東映戦(現日本ハム)だった。ダブルヘッダー第2試合で、フランシス・アグリーの代走として桜井憲-種茂雅之のバッテリーから第1歩を記した。

 実は前日の開幕戦でも長池徳士の代走に起用されていたが、盗塁失敗に終わっている。初陣の借りをすぐに返したのだ。

 抜群の観察力を持ち、加速時間が短い。塁間27.431メートルを13歩、3秒で走る。二塁ベースに到達するまでのスピードがまったく落ちない。

 福本はプロ2年目の70年、75盗塁で初の盗塁王に輝き、以来82年までの13年間にわたって、その座を譲らなかった。

 106盗塁から11年後の83年6月3日、西武球場での対西武10回戦で、またも世界記録を達成した。

 9回に四球で出塁し、弓岡敬二郎の二ゴロで二進。森繁和の牽制をかいくぐり、会心のスタートを切った。

 悠々のセーフで三盗を決め、通算盗塁数は939。ルー・ブロック(カージナルス他)の938を抜いて世界の頂点に立った。

「あくまで1000への通過点。ボクはまだまだ5年くらいやるつもりやで」

 この言葉通り、84年8月7日、大阪球場での対南海18回戦で9回に二盗を決めて通算1000に到達した。

「1000の印象? そやねえ。1円玉でも1000個というと、よく集まったなという感じがしますよね。そんな感じしかなくて。現役で元気やからかな」

 現役で元気。引退までに、1065まで伸ばしたのだった。

 だが、盗塁するには出塁しなければ話にならない。

 88年まで実働20年で2401試合に出場し、通算安打数は2543である。試合数よりも142多い。

 終身打率は2割9分0厘7毛、打率3割台が7度ある。実働15年のミスタータイガース・掛布雅之は2割9分1厘9毛。その差は1厘2毛だ。

 主軸打者の成績を残した。盗塁王の必要条件は、強打者であることだ。

 福本は盗塁もそうだが、打撃には努力に努力を重ねた。このためか、盗塁よりも打撃の話題を好んだ。

 当初は足を生かした打撃をしていた。だが西本から「そんなことをするなら試合に使わない。振り切れ」と言われた。重さ1キロのバットを使うようになった。

 座右の銘は「おい悪魔」。「お」はおごるな。「い」はいばるな。「あ」はあせるな。「く」はくさるな。「ま」はまけるな。

 939盗塁を記録した83年、福本は「国民栄誉賞」の候補となったが、辞退している。

「そんな柄じゃないですよ」

 当時は「国民の模範となる自信がなかった」からだという。座右の銘同様、謙虚で飾らない福本の人柄がわかるエピソードである。

 (敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり

全文を読む
カテゴリー:
タグ:
関連記事
SPECIAL
  • アサ芸チョイス

  • アサ芸チョイス
    社会
    2025年03月23日 05:55

    胃の調子が悪い─。食べすぎや飲みすぎ、ストレス、ウイルス感染など様々な原因が考えられるが、季節も大きく関係している。春は、朝から昼、昼から夜と1日の中の寒暖差が大きく変動するため胃腸の働きをコントロールしている自律神経のバランスが乱れやすく...

    記事全文を読む→
    社会
    2025年05月18日 05:55

    気候の変化が激しいこの時期は、「めまい」を発症しやすくなる。寒暖差だけでなく新年度で環境が変わったことにより、ストレスが増して、自律神経のバランスが乱れ、血管が収縮し、脳の血流が悪くなり、めまいを生じてしまうのだ。めまいは「目の前の景色がぐ...

    記事全文を読む→
    社会
    2025年05月25日 05:55

    急激な気温上昇で体がだるい、何となく気持ちが落ち込む─。もしかしたら「夏ウツ」かもしれない。ウツは季節を問わず1年を通して発症する。冬や春に発症する場合、過眠や過食を伴うことが多いが、夏ウツは不眠や食欲減退が現れることが特徴だ。加えて、不安...

    記事全文を読む→
    注目キーワード
    最新号 / アサヒ芸能関連リンク
    アサヒ芸能カバー画像
    週刊アサヒ芸能
    2025/9/30発売
    ■530円(税込)
    アーカイブ
    アサ芸プラス twitterへリンク