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記事全文を読む→プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈日本シリーズの流れを決めた「珍事件」勃発〉
「ああっ、なんてこった‥‥!」
中日監督・近藤貞雄の怒りが一瞬にして沸点に達した。
だが、ここは落ち着くしかなかった。その怒りは持って行き場がなかった。
日本シリーズの行方を決めた。いまだにこう語り継がれる「珍事件」は1982年10月28日、西武球場での西武対中日第5戦で起こった。
中 0 0 0 0 1 0 0 0 0=1
西 0 0 0 0 1 0 2 0 ×=3
23日から始まったシリーズの対戦成績は2勝2敗だった。第5戦、流れを決める大事な1戦である。
3回表、中日の攻撃に入った。2死後、1番・田尾安志が杉本正から三遊間寄りのゴロを打った。すると遊撃手の石毛宏典は一塁にワン・バウンドで悪送球し、これを田淵幸一が後逸した。
田尾は二進、続く2番・平野謙は強烈なゴロを田淵の右に放った。二塁打コースだ。
完全に抜いた。誰もがそう思ったが、なんと打球は一塁塁審・村田康一の右足の向こうずね辺りを直撃した。
村田は尻もちをつきながら、右手を広げてフェアの判定をした。打球は走って来た二塁手・山崎裕之の前に転がった。
一塁手が2人‥‥村田が西武の守備を「足(アシ)スト」する格好になった。
田尾はてっきり一塁線を抜いたと思っているから、三塁を回りかけていた。
ここで異変に気づき、三本間で立ち往生。慌てて三塁へ戻ろうとしたが、ボールが山崎から三塁手のスティーブ・オンティベロスに転送されて、先取点どころかタッチアウトになった。
球神が中日に微笑みかけたが、一転してアカンベーをしたのだ。ただし平野の記録は安打だった。
平野が「こんなバカなことがあるんですか。おまけに二塁手の前に戻るなんて。なんだ、ありゃ」と言えば、田尾は「抜けたと思った。もちろん、気づかない。まさか‥‥」と天を仰いだ。
中日は抗議ができない。文句やグチを抱えても持って行き場がない。
「野球規則」では、審判員に打球が触れた場合、内野手(投手を除く)をいったん通過するか、または野手(投手を含む)に触れたフェアボールが審判員に触れた場合はボールインプレーである。
つまり、石ころに当たったのと同じようにプレーするのである。
中日は5回に大島康徳の本塁打で先行し、その裏から小松辰雄を投入した。
だが、西武はその裏にスティーブの同点二塁打、7回にもスティーブの逆転打と片平晋作の本塁打で突き放した。流れを手放した中日は、逆転負けで西武に王手をかけられた。
中日にすれば「もっとうまく避けてくれよ」という気持ちだったであろう。
言ってもどうにもならない。それでも言いたい。指揮官の近藤が口角泡を飛ばした。
「1点入って、最低でも二塁打だ。先制点も大きいが、ベンチは押せ押せムードがさらに盛り上がっとるんだよ」
さらに続けた。
「あんなケースでなぜ塁審に当たらなきゃいかんのだ。35年野球をやっているが、こんなのは初めてだ」
審判の村田は当時、パ・リーグを代表する審判だった。80年、81年と連盟から「優秀審判賞」を受賞していた。
その村田が大きな石ころとなってぶつかったのだから、中日にとっては間の悪い話となってしまったのだった。
村田は振り返る。
「普通、(打球は)外に行くのに、内へ逆に来たので逃げ切れなかった。こんなこと審判16年目で初めてだ」
近藤と同じく「初めて」と力を込めて話すと、こう付け加えた。
「痛かったし、こっちも真剣にやっているんだ」
王手をかけた西武の監督・広岡達朗は含み笑いをしながら言った。
「うまく蹴とばしてくれましたね。あの1点が入っていたらどうなっていたか、わからんですよ」
同年のシリーズは、57歳の近藤率いる中日が個性派揃いの「野武士野球」で8年ぶりにセ・リーグを制しての進出だった。
一方、西武は監督就任1年目の50歳、広岡が徹底した「管理野球」で球団買収4年目にして初のパ・リーグ王者に導いた。
まさに対照的なチームカラーを持つ両球団の対決で、西武がまだ西鉄だった54年以来、28年ぶりの顔合わせだった。
1日置いた30日、ナゴヤ球場での第6戦は西武が流れと勢いに乗って戦った。
西武は3回表に4点を先制したが、中日にその裏、同点に追いつかれた。
しかし西武は7回、片平、テリー・ウィットフィールドの連続本塁打で勝ち越し、最後は東尾修が締めた。
西 0 0 4 0 0 0 2 1 2=9
中 0 0 4 0 0 0 0 0 0=4
広岡は就任1年目で日本一を達成。それは西武初の日本一でもあった。以後4年間で3回優勝した。
近藤は翌83年、5位に沈んで辞任した。最下位ヤクルトと0.5ゲーム差だった。以後、大洋(現DeNA)で2年(4位、4位)、日本ハムで3年(5位、4位、4位)指揮を執ったが、いずれもBクラスに沈んで、優勝は82年の1回きりだった。
近藤は後にこう述懐している。
「審判はグラウンドに落ちている石ころだと思え。子供の頃から教育されてきたよ。でも‥‥」
一呼吸置いて言った。
「当たらなかったら、違う展開になっていたんだよなあ」
振り返れば、近藤にとって82年のシリーズは日本一監督になれる唯一のチャンスだった。
冒頭で「珍事件」と記したが、当事者にとっては悔しく「辛い事件」だった。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。
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