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Posted on 2025年11月23日 06:00

プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈「世界一」を決める「プロ野球日米決戦」実現〉

2025年11月23日 06:00

 広島の左腕・川口和久がガッツポーズを作ると、指揮官・古葉竹識が満面の笑みで出迎え、握手を交わした。

 1984年10月27日、後楽園球場で行われた広島対ボルチモア・オリオールズの「日米親善野球」第1戦で、川口が1‒0の完封勝利を飾った。

オ 0 0 0 0 0 0 0 0 0=0
広 0 1 0 0 0 0 0 0 0=1

 日米野球史上、阪神・村山実、巨人・益田昭雄、巨人・高橋明に次ぐ4人目の快挙だった。「1‒0」は初めてだ。

 1回と6回を除き、10奪三振だった。左腕から繰り出すストレートが走り、メジャーリーガーの内角を突いた。抜いた変化球もピシャッと決まった。

 3回無死一塁。3番のカル・リプケン・ジュニア、続くエディ・マレーを連続で三振に切って落とした。

 2人とも100万ドルのスタープレイヤーだった。当時の為替レートは1ドルが約240円だから、年俸約2億4000万円だ。

 スポーツ紙には「100万ドル斬り」の見出しが踊った。しかも2回の1点は川口が2死二、三塁から放ったもので決勝点となった。

 敵将のジョー・アルトベリは日本の報道陣に囲まれると力なく言った。

「みんなカワグチのところに行ったほうがいいだろう。とにかく今日は彼のワンマンショーではないか‥‥」

 さらにクビを振りながら続けた。

「もしもだよ。もう一度カワグチがナイスピッチングをしたら、オレはヤツをかっさらってでもアメリカに連れて帰るぞ!」

 この年の「日米親善野球」にはもう1つの大きなタイトルが付いていた。

「プロ野球日米決戦」である。

 歴史を振り返ると「日米野球」が日本のプロ野球界に及ぼした影響は大きい。

 戦前はルー・ゲーリッグ、ベーブ・ルースらバリバリのメジャーリーガーが来日して、全国の野球熱が高まった。

 戦争が終わると、日本球界はアメリカから少しでも多くのことを学ぼうと、49年からほぼ2~3年ごとに交流試合「日米野球」を開催した。

 日本球界にとっての悲願は、生徒が先生に挑戦する「日米決戦」だった。

 84年は巨人の前身「大日本野球俱楽部」が34年に創設されて、日本にプロ野球が誕生してから50年目にあたる節目の年だった。

 主催の読売新聞社は83年のワールド・シリーズに勝ったチームを招き、84年の日本シリーズの覇者との5回戦制によって「世界一」を争う企画を実現させた。

「プロ野球の父」正力松太郎の遺訓は「巨人軍は大リーグに追いつき、そして追い越せ」である。

 同決戦にはベースがあった。66年、巨人とドジャースの日米の前年王者が戦うイベントとして「日米野球」が行われていた。Ⅴ2の巨人は7試合を4勝3敗と勝ち越した。

 84年は日本の12球団が出場権を巡ってペナントレース、日本シリーズを戦い抜くものだった。

 主催は読売である。この年の巨人は「世界の王」が監督就任1年目で「日米決戦」にふさわしかった。

「やがては日米間で世界選手権を競う」という、職業野球創設以来の日本のプロ野球関係者の願いに近づく一歩だった。

 巨人は何としてでも球団創設50周年の節目を飾り、記念事業の出場権を得たい。王は門出から重い十字架を背負った。 新監督は「必ず日本一になります」と自信満々だった。

 しかし、開幕からつまずいた。原辰徳、レジー・スミスが故障したこともあり、開幕10試合を1勝6敗3分とスタートダッシュに失敗した。球宴前の折り返しでは広島、中日に大きく引き離されて、追い上げも空しく3位で終わった。

 この年は古葉が率いる広島が4年ぶり4度目のリーグ優勝、日本シリーズでは阪急(現オリックス)を4勝3敗で破って、3度目の日本一に輝いた。

 主催者が描いた舞台設定は崩れた。

 メジャー代表はすでに決まっている。前年、フィラデルフィア・フィリーズを4勝1敗で破ったオリオールズだ。

 ところが同年のオ軍は、アメリカン・リーグ東地区で7球団中5位である。

 巨人が出場しない「日米決戦」はさらに盛り上がりを欠いてしまった。

 さて「日米決戦」だ。オ軍は川口に強烈な張り手を食らってさすがに目覚めた。28日の第2戦(後楽園)、5-3でタイにすると、30日の第3戦(西武)もこれまた5‒3で勝利し、「世界一」に王手をかけた。31日の第4戦(横浜)では7‒5であっさりと勝負を決めた。

 川口と再戦となった11月1日の第5戦(大阪)、マレーがその川口から1号、2号と連発した。強烈なお返しだった。オ軍は5‒2で快勝し最後を締めた。

 1敗後に4連勝、メジャーの貫禄だ。巨人もその後に親善野球で5試合戦ったが、1勝4敗だった。

 日米野球は開始当初からしばらくはアメリカチームにとっては親善試合であり、物見遊山、お小遣い稼ぎだった。

 だが、80年を過ぎたあたりから日本チームは実力を蓄え、緊迫したゲームが続くようになって、アメリカのチームも対戦への心構えが変わっていったのだ。

「日米野球」は単独チーム来日の時代を終えて、86年からは全米選抜としてやって来るようになった。日本も単独チームではなく全日本を編成した。

 06年からは国別対抗戦のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)がスタートした。

「日米決戦」はこの84年限りで、以降は開催されていない。

 (敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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