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Posted on 2026年02月08日 06:00

プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈沢村賞投手・小林とプロ未登板・江川とでトレード成立〉

2026年02月08日 06:00

 甲子園の大歓声は止まない。阪神・小林繁の目に光るものがあった。

 1979年4月10日、阪神対巨人1回戦。小林は移籍初勝利を、昨年まで在籍していた巨人から挙げた。

「勝ってよかった。とにかく、今日のゲームは勝ちたかった」

巨 0 0 0 1 1 1 0 0 0=3
阪 0 1 0 3 0 0 0 0 ×=4

 1月31日の零時過ぎだった。巨人・小林はタクシーで羽田空港正面入り口に乗り付けた。

 明日から宮崎でキャンプが始まる。と、その時、後ろから肩を叩かれた。某球団職員だった。職員はハイヤーで小林を都内のホテルに連れて行った。

 全ては“空白の1日”から始まった。

 江川卓は栃木・作新学院時代から“怪物”と呼ばれた豪球投手だった。この頃からプロ全球団が最高の評価をした。3年時には阪急(現オリックス)から1位指名を受けたが、入団拒否した。法政大学に進学し、東京六大学野球歴代2位の通算47勝をマークし、77年のドラフトでは超目玉となった。

 巨人とは早くから相思相愛の仲である。

 クラウン(現西武)から1位指名を受けたが、再びプロ入りを拒否した。浪人を選択し、米国・南カリフォルニア大に野球留学した。

 翌78年11月21日午前、巨人が江川と入団契約を交わしたと電撃的に発表した。翌22日はドラフト会議である。その前日が大きなポイントだった。

 野球協約第138条には〈ドラフトで指名した選手との交渉期間は翌年のドラフト会議の前々日までとする〉とある。

 これは不測の事態に備えて、ドラフト会議に出席できるようにした“準備の1日”との意味合いである。

 巨人はこの盲点を巧みに突いた。

「ドラフト会議の前日は新人選手の交渉権は消滅しており、自由競争選手である」

 という理屈で強弁した。これが“空白の1日”である。

 巨人はセ・リーグに「巨人・江川卓」を登録したが、セ会長の鈴木龍二は却下し、他の11球団も激しく反発した。巨人は翌22日のドラフト会議をボイコットした。

 そのドラフトで4球団が江川を1位指名し、阪神が江川の交渉権を得た。

 巨人は絶大な人気を誇る球団だ。だが、このやり方はおごっているとしか思えなかった。政治家の関与も反感を買った。日本中のプロ野球ファンが激怒し、世間は騒然となった。

 それでも巨人はリーグ脱退をほのめかすなど、球界の盟主とは思えない言動を繰り返した。

 事態は進まない。球界上層部が動いた。当時のコミッショナー・金子鋭によるトレード案が解決への決定打となった。

「江川は一度阪神に入団し、その後、巨人にトレード移籍することが望ましい」

 いわゆる“強い要望”である。

 巨人と阪神は水面下でトレードを進めた。期限はキャンプ前だ。阪神は1月30日深夜、小林の名を巨人に伝えた。

 小林が空港から連れていかれた都内のホテル1室に入ると、巨人のフロント首脳が阪神移籍を伝えた。話し合いは深夜にまで及んだ。激しいやり取りがあり、説得に時間がかかった。

 小林の結論は「阪神に行くしかない」だった。2月1日未明に会見を開いた。

「ボクに同情する人がいるかもしれませんが、同情されたくありません。江川君の犠牲で阪神にいくわけじゃない。阪神が欲しいと言ってくれたからです」

 そして続けた。

「あくまで阪神でのボクの仕事を見て評価してください」

 ごねるような素振りを一切出すことなく、さわやかに語ったのである。

 世間にはプロ野球に対する悪印象が渦巻いていた。小林はこの危機を救った。

 江川は31日、阪神と契約を結んでいた。

 こうしてプロ6年で62勝を挙げ、しかも77年に“沢村賞”を獲得した投手と、プロでは1球も投げていない投手のトレードが成立。これが「江川事件」である。

 小林は一躍“悲劇のヒーロー”となり、江川は“悪役”となってしまった。

 小林の心中やいかばかりだったろう。確かに江川は将来性豊かな投手だ。

 だが、巨人のエースとして長嶋茂雄率いる巨人の優勝に貢献してきた自分が同格に扱われた。悔しかったろう。

 小林は73年、全大丸から巨人に入団し、76年から頭角を現し、78年までの3年間で49勝を稼いだ。

 端正で真面目そうな顔立ちに、細身で足が長い。今で言うイケメンである。

 独特の右サイドスローから繰り出されるボールには威力があり、そのフォームも躍動感にあふれていた。

 小林は78年、横からのフォークに磨きをかけた。阪神戦に先発すると、9試合で4勝(2勝は完投)をマークして一躍“阪神キラー”となっていた。

 その翌年、小林は巨人に8連勝した。一度も負けなかった。“阪神キラー”は“巨人キラー”に変身していた。

 心の奥底には「巨人には負けられない」という怨念のようなものがあった。

 同年、37試合に登板して22勝を挙げて2度目の“沢村賞”を受賞した。

 対する江川は6月からの出場だったとはいえ、9勝にとどまった。

 小林は83年に13勝を挙げたものの、シーズン終了後に突如引退した。31歳の若さだった。79年に燃え尽きていたのかもしれない。あまりにも濃密な1年だった。

 プロ11年で通算成績は139勝95敗、通算防御率は3.18だった。

 10年1月17日、心不全で急逝した。これまた57歳の若さだった。

 (敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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