41歳の新人監督・川上哲治が、巨人の野手陣に多摩川球場での練習を命じた。外は横なぐりの激しい雨だった。1961年10月28日、巨人対南海(現ソフトバンク)の日本シリーズ第4戦は、後楽園球場で行われる予定だった。だが、試合は雨天中止。このシリ...
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5月20日時点で首位阪神に2ゲーム差の3位という巨人。5月14日のDeNA戦では、セ・リーグ20勝一番乗りだった。巨人の新人監督でこの快挙を達成したのは、1961年・川上哲治監督、1981年・藤田元司監督、2002年・原辰徳監督に続く4人目...
記事全文を読む→「川上さんのV9杯っていうゴルフが毎年あったんですけど、行くたびにイヤなんですよ」野球解説者・高橋慶彦氏のYouTubeチャンネル〈よしひこチャンネル〉に出演した元巨人の左腕・新浦壽夫氏は、そう切り出した。「川上さん」とは巨人V9時代(19...
記事全文を読む→プロ野球における元祖スイッチヒッターといえば…そう、巨人V9戦士のひとりで、リードオフマンとして活躍した柴田勲氏だ。通算2018安打で名球会入りし、盗塁王に輝くこと6回(セ・リーグ記録)。20年間で築いた通算579盗塁は福本豊氏の1065、...
記事全文を読む→坂本勇人のスタメン落ちと連続ノーヒット記録、菅野智之の離脱に先発投手不足、連続V逸で原辰徳監督が崖っ縁…と、あまりいい話がない巨人だが、ここで景気のいい話を出してきたのは、巨人OBの高田繁氏だ。野球解説者・江本孟紀氏のYouTubeチャンネ...
記事全文を読む→「マムシ」と言えば、一介の油売りから下克上で戦国大名にまで上り詰めた斎藤道三の異名。しぶとさを表現する上で、近年の小説の影響から「美濃のマムシ」として世間に認知、呼称されるようになった。では、日本プロ野球において、「マムシ」というニックネー...
記事全文を読む→日本プロ野球の長い歴史において、セ・パ両リーグでMVPを獲得した選手は2人しかいない。初受賞は、シーズン401奪三振といった日本プロ野球記録を1968年に樹立した江夏豊氏であり、広島での79年と、日本ハムでの81年。2人目は、日本ハム、巨人...
記事全文を読む→大洋ホエールズ一筋の元プロ野球選手・平松政次氏といえば、1970年と翌71年に最多勝利のタイトルを獲得。2年連続というのは、故・金田正一氏、故・村山実氏、江川卓氏、斎藤雅樹氏といったレジェンドクラスの投手に並ぶセ・リーグ最長タイ記録であり、...
記事全文を読む→現在、第19代として原辰徳氏が監督を務める巨人の、初代監督をご存知だろうか…?東京巨人軍と呼ばれていた時代、1936年から就任した、故・藤本定義氏である。藤本氏は61年から阪神タイガースの監督に就任しており、巨人と阪神の伝統ある両球団の監督...
記事全文を読む→先頃亡くなった、400勝投手の金田正一氏。残した偉業を褒めたたえる向きとは逆に、その時代背景を率直に指摘する記者もいる。「プロ野球の歴史の中で、最も変わったのは、投手の起用方法と言われます。先発完投型が普通とされた昔に比べ、今は先発、セット...
記事全文を読む→ヤクルト、西武の監督として日本一を達成した広岡氏は、95年に千葉ロッテのGMに就任する。球団は5年契約を提示してきたが、「3年で結果を出さなければ、責任を取る」と断言した。しかし、思わぬところから横やり。当時のボビー・バレンタイン監督との確...
記事全文を読む→現役時代は巨人の遊撃手として活躍し、引退後は万年Bクラスに低迷していたヤクルトを1回、西武を2回、日本一に導き、日本初のGM職も務め上げた。長きにわたるプロ野球史の目撃者・広岡達朗氏(84)が、巨人V9を成し遂げた川上哲治監督との対立も含め...
記事全文を読む→川上哲治といえば、野球ファンに説明の必要はない。現役時代は「打撃の神様」、そして監督としては不滅の巨人軍V9を達成した。現役時代、V9選手の一人として支えた末次利光氏(71)が語るその素顔は──。「何より、同郷(熊本県人吉市)であることが大...
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