お題として提示されたのは「オレを変えたあの人の一言」。これに対し、野球解説者の西本聖氏は、次の言葉を挙げた。「人間ってのは、されたことは一生忘れるな」YouTubeチャンネル〈ダグアウト!!!〉でそう振り返った西本氏は、1984年から198...
記事全文を読む→藤田元司
5月20日時点で首位阪神に2ゲーム差の3位という巨人。5月14日のDeNA戦では、セ・リーグ20勝一番乗りだった。巨人の新人監督でこの快挙を達成したのは、1961年・川上哲治監督、1981年・藤田元司監督、2002年・原辰徳監督に続く4人目...
記事全文を読む→79年11月4日の日本シリーズ第7戦、広島VS近鉄で、江夏豊(広島)が9回裏に投じて日本一を決めた21球…のちに「江夏の21球」と言われた伝説の投球がある。これをなんと「凄くもなんともない」と斬り捨てた人物がいた。元巨人監督の藤田元司だ。1...
記事全文を読む→中畑清氏が巨人に入団したのは、1975年(ドラフト3位)。長嶋茂雄第1次政権下(75~80年)であり、その後、藤田元司氏(81年~83年)、王貞治氏(84年~88年)と、巨人の監督のバトンは引き継がれていった。その中畑氏が、江川卓氏のYou...
記事全文を読む→元巨人の中畑清氏が、「昭和の怪物」こと、江川卓氏のYouTubeチャンネル「江川卓のたかされ」に出演した(4月4日付投稿回)。江川氏は現役時代、ランナーが一塁に出ても、打者を打ち取ることに集中するあまり牽制球を放らない、もしくは形だけの山な...
記事全文を読む→巨人軍の歴代監督を振り返ると、「野球の神様」と称された川上哲治氏、「ミスタージャイアンツ」こと長嶋茂雄氏、ホームラン世界記録樹立者の王貞治氏、そして現在の監督・原辰徳氏は、通算勝利数で球団歴代1位になるなど、錚々たる顔ぶれが並ぶが、そんな中...
記事全文を読む→2月24日、元プロ野球選手の「デーブ大久保」こと大久保博元氏のYouTubeチャンネルに、元巨人の岡崎郁氏が出演。原辰徳監督の素顔を語った。岡崎氏は1979年のドラフト会議で3位指名され、大分商業高校卒で巨人に入団。翌年には原氏が東海大卒で...
記事全文を読む→元巨人の江川卓氏は、1982年、セ・リーグタイ記録となるシーズン10無四球試合といった隠れた名記録があるのだが、この年、この記録を新たに塗り替える可能性が高かったことをご存じだろうか。同年9月4日、甲子園球場で開催された「阪神─巨人戦」。無...
記事全文を読む→1989年、藤田元司監督(故人)率いる巨人と仰木彬監督(故人)率いる近鉄の日本シリーズは、3戦目に先発した近鉄の加藤哲郎氏の“巨人を見下す発言”がヒーローインタビューで飛び出し、これが巨人ナインの闘志に火をつけたとされ、3連敗からの4連勝と...
記事全文を読む→最多勝利5回、最優秀防御率3回など数多くのタイトルに輝き、沢村栄治賞にも3回選出された、斎藤雅樹氏。「巨人三本柱」として、槙原寛己氏、桑田真澄氏とともに90年代の巨人を牽引し、「平成の大エース」と呼んでも過言ではない活躍ぶりだった。そんな斎...
記事全文を読む→元プロ野球選手・駒田徳広氏と言えば、1980年にドラフト2位で巨人に入団。プロ入り3年目の83年4月10日、対大洋ホエールズ戦において、日本プロ野球史上初となるプロ初打席での満塁ホームランを放ち、以後「満塁男」の異名を取ったスラッガーである...
記事全文を読む→日本プロ野球界で、1981年の日本シリーズ「巨人対日本ハムファイターズ」は、史上初めて全試合が同一球場で開催された稀なシーズンであった。日ハムが北海道に本拠地を移したのは2004年で、81年当時は両球団ともに後楽園球場を本拠地にしていたので...
記事全文を読む→槇原寛己氏、桑田真澄氏と並び「巨人の三本柱」と評された元プロ野球選手、斎藤雅樹氏が、巨人時代にはバッテリーを組んだ仲でもある大久保博元氏のYouTubeチャンネル「デーブ大久保チャンネル」に出演。二兎追った結果、二兎をも得てしまった1989...
記事全文を読む→甲子園優勝投手で200勝以上を記録したのは、237勝の故・野口二郎氏(中京商⇒東京セネタースなど)と、201勝の平松政次氏(岡山東商⇒日本石油⇒大洋)の2人だけである。PL学園を優勝に導き、今年から巨人の投手チーフコーチ補佐に就任した桑田真...
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