プロ野球に1993年オフ導入の「FA制度」を作った立役者をご存じだろうか。1980年、プロ野球選手会初代会長となった中畑清氏である。その経緯をぶっちゃけたのは、元日本ハム・斎藤佑樹氏のYouTubeチャンネル「斎藤佑樹 野球場プロジェクト」でのことだ。
「なんでそういう気持ちになったかといえば、清原(和博)なんだよ。西武との日本シリーズがあって、キヨが残りワンアウトって時に、ファーストで号泣してるんだよな。憎きジャイアンツに勝ったっていう、裏切られた自分の夢を…ジャイアンツに入りたくて入りたくて仕方がなかった。そういう裏付けがあって、その涙につられちゃったんだよな。こんなに純粋に球団を愛する選手がいるんだって思う中で、こういう選手に対して違った道を作ってやるのがFA制度じゃないかなって」
西武時代の清原和博が1塁守備中に涙したのは1987年、巨人との日本シリーズ第6戦。西武が日本一に王手をかけ、3-1で9回2アウトとなった際のことだ。巨人入りを熱望し、巨人・王貞治監督から指名を約束されていたにもかかわらず、ドラフト指名されたのは桑田真澄だった。
日本一目前、清原は1塁から王監督の姿を捉え、感慨深いものがあったと、メディアで当時を振り返っている。
中畑氏の話に戻ろう。一塁手として定着した2年目のオフ、ゴルフコンペの風呂場で西武・広岡達朗監督と一緒になった時のことを明かしている。
「『中畑、お前いくらもらってるんだ』って言うから『3000万円くらいです』。『倍出すからウチに来い』って。今の時代だったらな…、その頃、そういう制度がなかった」
こうした経験も、FA制度導入へとつながっているのかもしれない。
(所ひで/ユーチューブライター)