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プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈王貞治が「世界の本塁打王」前夜に残した記録〉

 一塁走者・長嶋茂雄が二塁に突っ走った。三塁走者・王貞治が、捕手から二塁への送球の行方を確認した。そして─。

 1961年5月18日、後楽園球場での国鉄(現ヤクルト)対巨人の8回戦、21歳の王が1試合で二盗、三盗、そして本盗の3盗塁に成功した。

 翌62年に王は初めて一本足打法を披露。38本塁打を放って初の本塁打王に輝き、以来13年連続でその座を守り続けた。「王時代」の到来である。

 そのブレイク前夜、驚くべき記録を残していたのだ。

巨 0 0 2 1 0 0 0 0 0=3

国 0 0 0 0 0 0 0 0 0=0

 国鉄の先発は、この年の開幕投手、右腕の北川芳男。巨人は山崎正之だ。

 巨人は王を2番で起用した。

 3回、無死で打席に立つと二塁左をゴロで抜いた。3番・高林恒夫が初球をバントと見せかけてボールを見送り、2球目を空振りした。すると、王が守備陣のスキを突いて二盗に成功、高林の二ゴロで三進。続く4番・長嶋は四球を選んだ。

 無死一、三塁。長嶋が5番・坂崎一彦の4球目に走った。捕手の根来広光が二塁に送球したが、これが悪投となって外野に転がっていく。

 その間に王が本塁を陥れた。記録は重盗。ONの重盗はこれが最初で最後だ。

 さらに4回、王は2死後に二塁打で出塁した。今度は高林の2球目に左腕・巽一のモーションを盗んで三盗を敢行。失策に乗じて本塁を踏んだのである。

「3本のヒットはみんな詰まった当たりだった。いいコースに飛んだ。4回の三盗はノーサインですよ。全然捕手が警戒していないので走った。もちろん(3盗塁は)初めてです」

 北川は完封勝利を挙げ、王の3盗塁が大きくアシストした格好だ。

 巨人は同年から川上哲治が、前任の水原茂からバトンを受けて指揮を執っていた。

 中学生離れした左腕として有名だった王は、56年に早稲田実業高校に入学すると、投打の軸として活躍した。

 2年時の57年には、センバツで紫紺の優勝旗を東京に持ち帰った。58年のセンバツでは2回戦で敗れたが、4番として2本の本塁打を放った。2試合連続本塁打は大会史上4人目の記録で、打者としての評価も高くなった。王争奪戦が勃発し、去就が注目された。巨人を含む7球団が獲得に名乗りを挙げた。

 8月31日、「セ・リーグで優勝できるチーム」と巨人入りを表明した。

「投打の二刀流」として59年春、宮崎キャンプに臨んだ。巨人首脳陣は投手として起用すべきか、それとも打者としてか悩んだ。

 前年に引退し、同年からヘッド兼打撃コーチだった川上は、打撃練習で場外に打球を飛ばす天賦の才能を見抜き、また監督の水原も同じ考えだった。

 巨人首脳陣はキャンプの2週間後、王に打者転向を言い渡した。巨人は3番打者の育成が急務だった。王もまた、投手としてのピークは高2だったと自覚していた。

 ポジションは、脚力が外野に向かないため一塁となった。前年に川上が引退しており、外野から一塁にコンバートされた与那嶺要の控えでスタートした。

 日系2世の与那嶺は王の打撃を見て言った。

「ボクにもう出番はないネ」

 61年には中日に移籍した。

 59年4月11日、国鉄との開幕戦で「7番・一塁」のデビューを果たした。国鉄の開幕投手は金田正一だ。第1打席で三振、2打席目は四球、3打席目では3球三振だった。

 以後、安打が出ない。だが、水原は我慢強く使い続けた。初安打は27打席目、右翼席への本塁打だった。

 1年目は94試合で打率1割6分1厘、7本塁打に終わった。三振は72個。王は王でも「三振王」のヤジを浴びた。

 2年目の60年に、早稲田大学から一塁手の木次文夫が入団してきた。六大学時代の通算7本塁打は、長嶋の8本塁打に次ぐ歴代2位タイ記録だった。

 本来は王と同期入団のはずだった。長野・松商学園高から早大を受験した際に、受験票を忘れて浪人生活となり、1年遅れて入学したのだ。

 同じ一塁で右のスラッガーの入団である。王にとっては大きな発奮材料となった。全130試合に出場して打率2割7分、17本塁打、71打点の成績を残した。

 王が木次と同期入団になっていたら、1年目から打者に転向していただろうか。巨人は木次に期待を寄せて、王には投手として何年か様子を見ていたかもしれない。運命のいたずらである。木次は62年、国鉄に移籍した。

 60年はその一方で22年間の現役生活で最多となる101三振を喫している。翌61年は打率2割5分3厘、13本塁打、53打点。伸び悩んでいた。

 同年オフ、川上は大毎(現ロッテ)で現役生活を終えた荒川博に「不動の3番に育ててほしい」と王の指導を任せた。

 荒川はかつて野球少年だった中学2年生時の王に偶然出会い、右打ちから左打ちに変えるようにアドバイスした。いわば王にとっては恩人である。

 運命の再会となった。

 師弟は一本足打法を誕生させて王は「世界の本塁打王」へと昇り詰めていく。

 王は22年間で84個の盗塁を記録しているが、61年は唯一2ケタとなる「10個」をマークしている。

 ホームラン打者の敵は投手ではなくケガだ。足は故障しやすい。足技に目を向けず、徹底的に遠くへ飛ばす道を突き進んだ。 ちなみに与那嶺は、王が少年時代に初めてサインをもらった選手で、2人は94年にそろって殿堂入りした。

 これは運命というより縁だろう。

(敬称略)

猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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