衝撃事件の生々しい真相が、直接本人の口から語られる──。それも、記者会見ならではの特徴かもしれない。95年5月22日夜、映画「ミンボーの女」を公開したばかりの伊丹十三監督が、自宅近くで3人組の暴漢から鋭利な刃物で襲撃され、重傷を負った。翌2...
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表情やしぐさ、さらに息づかいなど、記者会見にはその瞬間がリアルにテレビに映し出される。そのため、その人物が胸の奥にしまい込んだ問題や苦悩が、ふと浮かび上がることも少なくない。01年5月1日。「レオン」の世界的ヒットなどで知られる映画監督リュ...
記事全文を読む→夫婦揃って離婚会見を行う場合、「慰謝料なし」などと、いくら笑顔で「円満」をアピールしても、ちょっとしたぎこちなさから、2人の間にできた埋められない溝が見え隠れするケースがある。94年2月7日、21年間の結婚生活にピリオドを打った千葉真一・野...
記事全文を読む→「4月から1、2年の間、全ての仕事を休ませてもらいます」当時、5本のレギュラー番組を抱える売れっ子タレントだった野沢直子が「笑っていいとも!」(フジテレビ系)で突然、休業を宣言。91年2月27日のことだった。番組終了後、記者会見に臨んだ野沢...
記事全文を読む→市川海老蔵改め市川團十郎が11月4日、日本外国特派員協会で襲名記者会見を開いた。そこで海外メディアから10年のいわゆる「海老蔵暴行事件」について質問が飛んだ際の応対が、失笑を買っている。イタリアのメディアからの質問は、著名人のスキャンダルが...
記事全文を読む→背中に刺青、懐にはピストル。くわえタバコでブランデーをあおり、「あほんだら、撃てるもんなら撃ってみい!」と啖呵を切るその姿は、どこから見ても筋金入りの極道一家の姐さんだ。80年代後半から90年代にかけて「極妻」ブームを巻き起こし、16作まで...
記事全文を読む→将棋ブームと言われる昨今だが、90年代にも「将棋界のアイドル」として、ブームに大きく貢献した女流棋士がいた。それが、のちに不貞やヘア写真集、整形、自己破産、余命宣告などなど、世間を騒がせることになった林葉直子である。11歳で女流アマ名人、1...
記事全文を読む→かつて情報番組「ブロードキャスター」(TBS系)で人気だったコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」。毎週放送されたワイドショーでの放送時間をランキングしたこの企画で、長期にわたり上位をキープしていたのが、「ミッチー」浅香光代と「サッチ...
記事全文を読む→市川團十郎とともに、歌舞伎界を代表する名門として知られる梨園の大名跡は、尾上菊五郎。七代目菊五郎を父に持ち、昭和の仁侠映画で人気を博した女優・富司純子を母に持つのが、寺島しのぶである。男子しか名跡を継げない歌舞伎の世界に生まれ、そんな梨園に...
記事全文を読む→93年5月、有名女性芸能人らによるヘア写真集ラッシュが続く中、山本リンダが都内のホテルで写真集「WANDJINA(ワンジーナ)」の出版記念記者会見を開いた。3月から4月にかけてオーストラリアと日本とで撮影に臨んだという写真集には、大胆な網目...
記事全文を読む→「とにかく、お家に帰りたいと思ったんです。だから廊下に出て『日本に帰りたいです』って言うと、スタッフが出てきて『どうしたの?』と…」CD発売キャンペーンのため、台湾を訪問していた「シノラー」こと篠原ともえ(当時21歳)が、宿泊先のホテルで未...
記事全文を読む→SNSの普及により、芸能人が直接、自身の言葉や文章で心情を発信出来るようになったことで、その数がめっきり少なくなった記者会見。だが、80年~90年代、ワイドショー全盛時代は、各番組に必ず名物レポーターが存在。彼らが伝える悲喜こもごもの話題に...
記事全文を読む→俳優として活躍したのち、朝のワイドショー「ルックルックこんにちは」(日本テレビ系)で13年半にわたり司会を務めてきた岸部四郎が亡くなって、今年8月で2年の月日が流れた。岸部は69年に沢田研二がボーカルを務め、兄・岸部一徳がベースを担当するグ...
記事全文を読む→結婚31年目にして「いよいよ不貞夫と決別か」と、このところ芸能マスコミを賑わせているのが、歌舞伎役者・中村芝翫(元・橋之助)の妻・三田寛子だ。2人は91年11月28日、ホテルオークラで挙式。その年の6月12日、銀座東急ホテルで行われた婚約会...
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