四六時中、女子アナのことばかり考えているファンがいるのをご存知か?テレビやSNSで麗しい姿を拝むだけでは飽き足らず、実際にテレビ局やイベント会場に足を運びコンタクトを取ろうとする猛者が世の中には存在するのだ。このほど、ガチの愛好家100人が...
記事全文を読む→週刊アサヒ芸能2026年8月4日号
この道を行けばどうなるものか─アリ戦への道は、誰もが危ぶむ制約が猪木に課せられた。極秘のルール交渉は試合当日の未明まで難航。さらにその早朝にも舟橋慶一氏にある厳命が下っていたのだ。闘う者、実況する者は共に、底知れぬ覚悟で、世紀の一戦への一足...
記事全文を読む→1966年5月1日、広島市民球場での広島対大洋(現DeNA)6回戦だった。大洋の先発右腕・佐々木吉郎は9回裏、27人目の打者、阿南準郎を1ボール2ストライクと追い込んでいた。阿南が真っすぐを振り抜くと打球は右翼・黒木基康のグラブに収まった。...
記事全文を読む→新日本の株式はテレビ朝日と、協業関係にあるサイバーエージェントがそれぞれ46.3%ずつ持つことになった。73年から中継を続けてきたテレ朝が親会社になったことは、必然とも言えそうだが‥‥。「木谷オーナーは将来的な売却を考え、売り先候補を慎重に...
記事全文を読む→先に「チケットが売れる」として名が挙がった氷川きよしも、24年7月、約24年間所属した「長良プロダクション」から独立している。「氷川は自宅購入資金として億単位の金を長良プロに用立ててもらった恩があり、長らくは独立という選択肢を選べなかったな...
記事全文を読む→デビュー前から札幌のキャバレーで歌手として活動し、“すすきのの森進一”として名を馳せていた細川のもとに東京から「バーニングプロダクション」がスカウトに来た。1年だけ勝負して、売れなければ札幌に戻ればいいという思いで細川は上京。ところが75年...
記事全文を読む→先のリング上で、辻はこうも叫んでいる。「俺はこの団体が好きだ。新日本が好きなんだ。ライオンマークを堂々と掲げていたいんだよ。俺は守る!このベルトも、このリングも、そしてこの新日本プロレスも。だから、だから、同じ方向を向いてくれ。この団体をも...
記事全文を読む→売れっ子へと成長したタレントが、育ててもらった所属事務所から巣立っていく。大人の階段を登っていく世の中の道理のようで、美談の趣もある。ところが、双方の思惑は必ずしも一致しないのである。時に周囲が「忖度」に走り、それが「圧力」となることも─。...
記事全文を読む→6月30日、14年間にわたって新日本プロレスを支えた親会社・ブシロードが、全株式をテレビ朝日とサイバーエージェントに譲渡。売却は以前より計画されていたというのだが、その時期が早まった背景には、時のチャンピオンがリング内で発した禁断の言葉があ...
記事全文を読む→それにしても毒蝮三太夫たぁ、談志の奴、ひどい名前をつけてくれたもんだ。あれから60年。今もこの名前で呼ばれてるとは、お釈迦様でも気がつくめぇ。俺には子役の頃から、石井伊吉という親父がつけてくれた立派な名前があるんだよ。今じゃあ、そう呼んでく...
記事全文を読む→引退後の斎藤は、意外なほど自然に次の場所へ移った。いや、自然に見えるだけで、そこにも彼なりの覚悟があったのだろう。現在は「株式会社斎藤佑樹」の代表として活動し、「野球未来づくり」を掲げている。公式サイトには、プロ野球のマウンドに立ち続けるこ...
記事全文を読む→斎藤のプロ通算成績は、89試合登板、15勝26敗、防御率4.34。甲子園の英雄、ドラフト1位、ハンカチ王子という肩書きからすれば、物足りない数字だと言われても仕方がない。本人も引退時のコメントで、期待に沿う成績を残せなかったという趣旨の言葉...
記事全文を読む→斎藤の道のりは、いかにも王道に見えた。早稲田実業から早稲田大学へ進み、10年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団する。日本ハムの公式プロフィールでも、早稲田実業、早稲田大、北海道日本ハムという経歴と、10年ドラフト1位での入団が記...
記事全文を読む→この夏の斎藤を語るうえで、まず強調すべきは、そのパフォーマンスが単なる「快投」という言葉では収まりきらない点である。06年夏の斎藤佑樹は、時代の狭間に生まれた歴史的特異点と言える。大会を通じて、斎藤は7試合に登板し、合計69イニングを投げ抜...
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