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記事全文を読む→羽生善治VS渡辺明、将棋界「新ライバル戦記」(4)駒を持つ羽生の手が震えた
さるベテラン棋士も、こう話す。
「かつての将棋界は個性派の集まりでした。短手数で投了することがあった天才肌の芹沢博文さんはその一人で、酒飲みで競輪好きでもあった。それでいて、兄弟子として中原誠十六世名人を鍛えに鍛えた。それに、米長さんみたいに火宅の人であることを隠さなかった棋士もいたくらいです。今の若手の多くはパソコン世代のせいなのか、人間臭さがなくおとなしい。その点、最近は立場をわきまえてもの言いが穏やかになったとはいえ、はっきり自分の意見を口にする渡辺には好感が持てます」
将棋界を代表する2人はマスコミに登場する機会も多く、人をそらさぬ話術の名手でもあるのは、小学生の頃から大人と接していたからだろう。羽生が八王子の将棋クラブに通い詰めたのは有名であり、渡辺は有段者の父から手ほどきを受けて子供同士の将棋教室に通い、さらに大人に勝てるようになって将棋の楽しさを知ることになる。
余談だが、先の極楽・加藤との対談で「年に似合わぬ風貌」について聞かれた渡辺は、「大人と将棋をしていたからでしょう」と受け流している。
ところで、羽生と渡辺の初対局は03年3月の王位戦のリーグ戦。渡辺が19歳になる約1カ月前であり、ここで渡辺は敗れることになるが、わずか半年後にリベンジのチャンスが訪れる。
王座戦5番勝負がそれだった。タイトル戦には初挑戦だった渡辺は、名刺を忘れて関係者に取りに行ってもらったり、対局会場のホテルの豪華さに驚いて部屋の鍵を紛失するなど、緊張感が見て取れた。前出・観戦記者が言う。
「当時の羽生は名人を含む四冠を保持。渡辺は初戦は敗れたものの、すぐさま2連勝して巻き返し、初タイトルに王手をかける。結局、そのあと2連敗して奪取はかなわなかったものの、第4局が千日手になり、計6局戦ったことに確かな手応えを感じていました。そういえば最終局の終盤では、駒を手にしようとした羽生の手が震えるシーンもありましたね。防衛を意識してそうなったのでしょうが、若き日の自分を思い出させる果敢な挑戦者の姿がそうさせたのかもしれません」
渡辺は最終戦翌日のブログで、羽生に初めて勝った第2戦の夜は寝つけなかったと明かし、さらにこうつづっている。
〈この半年間で、多くのものを学ぶことができました。本戦トーナメントでの一局一局の熱戦、そして羽生王座との6局。いずれも今まで味わったことがない、しびれる緊張感の中での戦いでした。今後もこのような将棋を指していくことが目標です〉
目標はその後、着実に達成されていくのである。
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