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記事全文を読む→歴代総理の胆力「田中角栄」(2)「短命政権」と「闇将軍」
政権を執った田中角栄は、早々と「決断と実行」ぶりを実践して見せた。「日本列島改造計画」「日中国交正常化」実現へ向けての“二刀流”である。
田中政権2年余、「改造計画」は立ち上がったが、折から中東戦争による第2次石油危機に見舞われたことで、インフレを引き起こし、結局はこの物価高騰が計画の足を引っ張り、政権の勢いを殺ぐ結果となった。
しかし、一方で歴史的な「日中国交正常化」は台湾問題、対日賠償請求権問題など困難が多々あったが、周到な事前の根回しもあり、政権発足からわずか2カ月余で両国の共同声明調印式まで持っていった。田中は交渉で北京に向かう前、秘書の佐藤昭子にこう語ったとされている。
「日本国の総理大臣として行くんだから、土下座外交は絶対にしない。国益を最優先に向こうと丁々発止をやる。いよいよとなったら決裂するかも知れんが、その責任はすべてオレがかぶるつもりだ」
やがて世界有数の経済大国になること必至と読んでの中国との国交正常化へ向けての、それまでの米国一辺倒外交からの脱却にわが国の将来を模索、併せて政治生命を賭けての訪中だったことがわかるのである。
こうした田中政権ではあったが、好事魔多し、突然のスキャンダルに見舞われることになる。
月刊誌『文藝春秋』により、それまでの金脈・女性問題に関する不明瞭さを暴露され、結局はこれを機に政権の座を追われることになった。「短命政権」への“引導”である。次いで、わずかその1年余り後に、今度はロッキード事件が表面化、これに連座したカドで逮捕、起訴、「総理大臣の犯罪」として問われることになっている。
しかし、これだけのスキャンダルを背負えば、並の政治家なら、二度と権力に近寄ることなどはできない。だが、田中だけは“別格”だった。
総理退陣直後はともかく、その後の大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘の各政権に影響力を発揮、「闇将軍」とのカゲ口もなんのその、不死鳥のように権力の場に舞い戻るのである。
その背景、源泉はどこにあったのか。
■田中角栄の略歴
大正7(1918)年5月4日、新潟県生まれ。二田(ふただ)尋常高等小学校卒業後、16歳で上京。復員後、田中土建工業設立。昭和47(1972)年7月内閣組織。総理就任時54歳。日中国交正常化を実現。「ロッキード事件」で逮捕。最高裁上告中の平成5(1993)年12月16日、死去。享年75。
総理大臣歴:第64~65代 1972年7月7日~1974年12月9日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。
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