田中角栄

政治
Posted on 2024年10月04日 05:58

10月1日に首相になった石破茂氏は、衆院選挙を10月27日に実施すると表明。自民党総裁・首相に就任したとたん、総裁選中とは違うことを言い出したことで、「豹変」「変節」といわれている。だが当の石破首相の胸中は「豹変で何が悪い」という気持ちだろ...

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政治
Posted on 2024年01月10日 05:59

旧田中角栄邸が1月8日に全焼した火事で、警視庁などは9日午前9時過ぎから、火元の建物の実況見分を始めた。東京文京区目白台の高級住宅街に火柱が立ったのは、8日午後3時20分頃。かつて田中角栄元総理が暮らした自宅から出火し、消防車等の緊急車両2...

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政治
Posted on 2020年09月17日 05:55

伊藤博文から安倍晋三まで62人の明治・大正・昭和・令和と、日本の舵取りを担った総理大臣のリーダーシップ、それを支えた「胆力」を点検してきたが、いよいよこの連載も最終回である。その総括として、改めて足跡を残したトップリーダーと、その時代背景を...

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政治
Posted on 2020年09月08日 05:58

飄々とした表情にトボけた話しぶり。時には恫喝めいた口調で迫力を出す。自民党内の人事を操り、この総裁選の重要キーマンとなっているのが、二階俊博幹事長(81)である。全国紙政治部デスクが解説する。「安倍総理が退陣を表明した翌8月29日夜、二階氏...

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政治
Posted on 2020年08月13日 05:55

菅直人という元総理大臣の一端を物語る、こんなエピソードがある。昭和56(1981)年秋の臨時国会。時の衆院の行政特別委員会で、社会運動家として鳴らした市川房枝女史とともに立ち上げた少数野党「社民連」の1年生代議士だった菅が、質問に立った。国...

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政治
Posted on 2020年06月18日 05:55

「小沢(一郎)はナタの魅力だ。黙々と仕事をして、やるときはドスンと決断する。一方の橋本(龍太郎)はカミソリだな。頭脳明敏、スパッとした切れ味が魅力だ」総理大臣となった田中角栄は、多士済々が蝟集(いしゅう)した田中派の中で、有望な若手視をされ...

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政治
Posted on 2020年06月04日 09:55

羽田は「二世議員」ながら、当初は政治の世界に入る気はなかった。成城大学を卒業後「小田急バス」に入り、本社の観光課係長などを経て、企画調査室課長で退職した。この間の10年のサラリーマン生活で、羽田が企画した文学ゆかりの地を巡る観光バスによる「...

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政治
Posted on 2020年05月21日 05:55

東大法学部卒の“巣窟”にして、並み居る省庁の中でも「エリート中のエリート官庁」とされているのが財務省(旧・大蔵省)だが、「省史」を紐解いてみると、その中でも、さらに飛び抜けての秀才が、二人浮上してくる。ともにのちに総理となる福田赳夫と、この...

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政治
Posted on 2020年04月16日 05:55

「苦節10年」という俚諺(りげん)があるが、この竹下登は天下を取るのに、じつに23年の歳月をかけたのだった。のちに触れる竹下の極め付きの“辛抱強さ”が、改めて知れるのである。竹下の「政治の師」は、国政入り後、初めてワラジを脱いだ佐藤派の領袖...

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政治
Posted on 2020年04月09日 05:55

中曽根康弘政権は「戦後政治の総決算」を掲げた本格政権でもあったが、『構え』の大きさの割には実績評価は分かれている。とくに、5年にわたった政権に国民人気は高かったものの、退陣後の永田町とりわけ自民党内の評価は二分されていたものだった。中曽根は...

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政治
Posted on 2020年04月02日 05:55

大平派最高幹部の鈴木善幸が、派閥領袖(りょうしゅう)の大平正芳の急逝により総理のイスにすわったのは、ロッキード事件にもまれ、なお影響力温存を窺った時の最大派閥の領袖、田中角栄の意向によるものだった。田中と鈴木は、昭和22(1947)年4月の...

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政治
Posted on 2020年03月26日 09:55

この「40日抗争」に一応のピリオドが打たれたあとの第2次内閣でも、「反主流」の3派はホコを収めず、それから約半年後の5月には社会党が提出した内閣不信任決議案の本会議採決で、福田、三木の両派が欠席(中曽根派は一応出席)、ために不信任決議案は2...

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政治
Posted on 2020年03月26日 05:55

「アイツは宗教家だから、ワシらが動くしかない」「盟友」大平正芳が初めて名乗りを挙げた昭和53(1978)年11月の自民党総裁選で、田中角栄は田中派を総動員させ、「大平勝利」に全力投球した。首相退陣後、ロッキード事件が発覚、「闇将軍」としてな...

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政治
Posted on 2020年03月19日 09:55

大平は初出馬では田舎のジイサン、バアサンにクソ面白くもない財政問題を懸命にしゃべったが、いかにもカタい話すぎて聴衆はシラケるのが常だった。「笑顔だけはステキ」と妙に婦人票が集まって、からくも当選を果たしたのだった。しかし、2回目の選挙では笑...

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