テリー反省ばかりしているのも何だし、明るい話題に変えようか。今後、挑戦していきたいことはある?吉田今は「自分に何ができるのか」を模索している途中で‥‥。挑戦というと少し違うかもしれませんが、最近は絵本の勉強をしているんです。テリー絵本って、...
記事全文を読む→週刊アサヒ芸能 2020年 4/9号
テリー明世ちゃんの体も、本当は脱いだらすごいんじゃないの。吉田私のは、そんなお見せできるようなものじゃないです(苦笑)。あ、でもおなかだけは細いですよ。子供を産んだあと、意外にちゃんと戻ったので。テリー今、お子さんは1人だっけ。ここは5人く...
記事全文を読む→テリーたしか相談を受けた時だったかな、「ネットニュースに振り回されるのが嫌だ」っていう話をしていたのが印象に残っているんだよ。吉田ああ、それは今もそうです。例えば「サンジャポ」の現場でみんなが楽しく会話している中で、私も自分なりの意見を言う...
記事全文を読む→●ゲスト:吉田明世(よしだ・あきよ)1988年、東京都生まれ。成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科卒業後の2011年4月にTBS入社。「みのもんたの朝ズバッ!」「サンデー・ジャポン」「ビビット」「爆報!THEフライデー」などの番組に出...
記事全文を読む→電柱や枕木の廃材で組んだ店内で20種超の炭火焼きとママの接客テクを気さくで人情味あふれるママが迎えてくれる焼鳥屋。オープン間なしから続々と訪れる常連客で連日にぎわいを見せるが、気後れすることはない。一視同仁なママの接客にかかれば、一見でも一...
記事全文を読む→退陣を決意した中曽根は、後継に竹下登を指名した。安倍晋太郎(安倍晋三総理の父)、宮沢喜一(のちに総理)も候補とされたが、3者の中で最も自民党内がまとまりやすいとの理由で竹下を選択したということであった。同時に、竹下が順調な政権運営を続ければ...
記事全文を読む→中曽根康弘政権は「戦後政治の総決算」を掲げた本格政権でもあったが、『構え』の大きさの割には実績評価は分かれている。とくに、5年にわたった政権に国民人気は高かったものの、退陣後の永田町とりわけ自民党内の評価は二分されていたものだった。中曽根は...
記事全文を読む→漫才師としてだけではない。歌手としても80万枚のヒット曲を放つほど「ザ・ぼんち」は重宝された。コンビの顔であったぼんちおさむ(67)が語る驚愕エピソードとは?おさむ潮来の伊太郎~アリ?怒ったぞ!お、お、お、おさむちゃんで~す。──いやあ、フ...
記事全文を読む→「最近、気づかぬうちに寝てしまっていた。疲れかな」と思う人は「睡眠時無呼吸症候群」かもしれない。これは、眠っている時に呼吸停止あるいは低呼吸の状態になる病気。症状が現れるのは睡眠時であるだけに、自覚していない人は多い。実は潜在的な患者数は、...
記事全文を読む→「しっかし松田聖子ムカツクわ~」──徹底した毒舌と、漫才師らしからぬ美貌で人気を集めたのが春やすこ・けいこだ。ブーム真っ最中に18歳だった春やすこ(58)が、熱狂の日々を追想。──80年のブームの時には、最年少ですよね。やすこ漫才師になるつ...
記事全文を読む→どんな窮地に立たされても、ただじゃ転ばない。小林旭の代名詞である「マイトガイ」という呼称どおりの豪胆さは、デビュー当時から備わっていたものだ。「石原裕次郎(享年52)らとともに日活アクション映画の黄金期を作り上げました。でも、旭と裕次郎には...
記事全文を読む→そんな浅丘と小林旭が出会ったのは58年。共演2作目の「絶唱」では「お互いの恋心が画面ににじみ出ていて演技をする必要がまったくなかった。会っているだけで楽しかった」と、浅丘がのちに語っているように、2人は一目会った瞬間から恋に落ちていた。「恋...
記事全文を読む→ビートたけしや西川きよしのように、今もテレビに出続けるブームの主役たち。一方で、過酷な運命をたどった人気コンビもいた。MANZAIブームを語るうえで、マシンガンさながらの怒濤のツッコミで一世を風靡したのが島田紳助・松本竜介だった。「この程度...
記事全文を読む→聖子の40年史をひもとくと、ワイドショー文化と並走する。とりわけ流行語にもなったのが85年1月23日、恋人だった郷ひろみとの別離会見で発した「生まれ変わったら一緒になろうね」であろう。郷はのちに「そんなことは言ったことも聞いたこともない」と...
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