昔も今も、多くのスタッフの前で全脱ぎの姿をさらすことは、女優として覚悟がいること。ギリギリの攻防戦は、悲劇となりうることも多かった…。高橋惠子が「関根恵子」名義でデビューしたのは70年のことである。経営危機に見舞われた大映にあって、15歳か...
記事全文を読む→鈴木則文
聖子の40年史をひもとくと、ワイドショー文化と並走する。とりわけ流行語にもなったのが85年1月23日、恋人だった郷ひろみとの別離会見で発した「生まれ変わったら一緒になろうね」であろう。郷はのちに「そんなことは言ったことも聞いたこともない」と...
記事全文を読む→70年代から80年代にかけ、トップモデルとして、また女優として輝きを放った中島はるみ(57)。唯一の一糸まとわぬ姿を見せた映画には、思いがけないドラマがあった。──実は週刊アサヒ芸能で、89年公開の「文学賞殺人事件大いなる助走」(アジャック...
記事全文を読む→監督の寛容で温厚な性格は、こんなエピソードも生んだという。「忘れもしない、初日は朝9時からの撮影開始なのに、文太さんが夕方4時か5時に来た。それまで延々、『文太さん待ち』だったんです。で、『おはようございます』と私が挨拶したら、文太さんは『...
記事全文を読む→「トラック野郎」シリーズを彩った女優の一人に、夏樹陽子(61)がいる。片平なぎさがマドンナの第5作目「トラック野郎度胸一番星」(77年)で、女渡り鳥・マヤ役を好演。まだ映画出演3本目の新人女優だったが、一気に映画ファンに注目される存在となっ...
記事全文を読む→映画では当然、トラックに乗り込むのだが、「離れた場所にいる監督からは特に注文がなかったような気がします。車高が高いのがとにかく気持ちよくって。ただただキレイな景色を見て楽しんでいました」あべがアルバイトしているドライブインに文太が学生服姿で...
記事全文を読む→笑い、義理人情、下ネタ、お色気、そしてアクション──あらゆる要素を内包し、シリーズ10作を数えた大ヒット映画「トラック野郎」。歴史に残る名作を生んだ娯楽映画の奇才・鈴木則文監督とはいかなる人物だったのか。監督が愛し、スクリーンを彩った女優が...
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