〈今回の所信表明演説は、石破内閣のお手上げ敗北宣言。(中略)一番無いのが人口減少への危機感。毎年一つひとつ県が消失していく勢い。官僚の作文はそれを加速させる。政権交代は不可避〉石破茂首相の所信表明演説を受けて、翌11月30日に自身のXで激し...
記事全文を読む→小沢一郎
自民党が「裏金議員」の公認問題で揺れる中、立憲民主党の野田佳彦代表が追及のトーンを高めている。衆院解散を前にした報道各社の情勢調査では、自民党が議席を大きく減らすのは必至、との見方が大勢を占め、立憲民主党としてはこの問題を利用して躍進を図り...
記事全文を読む→自民党の政治資金パーティーをめぐる疑惑について、立憲民主党の小沢一郎衆院議員は事務所名でXを更新し、次のように投稿した。〈次の衆院総選挙の争点は間違いなく「裏金、是か非か」になる。「裏金なんて大したことない、やっぱり自民党!」という人たちが...
記事全文を読む→9月3日に投開票が行われた立憲民主党・小沢一郎衆院議員のお膝元である岩手県知事選で、小沢氏の「国家老」を務める達増拓也知事が5回目の当選を果たした。この選挙、当初は永田町界隈で「今回は達増氏が自公支援候補に敗れ剛腕と言われた小沢氏の足元がガ...
記事全文を読む→岩手県知事選(8月17日告示、9月3日投票)で、立憲民主党の小沢一郎衆院議員が支援する現職知事が厳しい戦いを強いられそうだ。現職知事が破れれば小沢氏自身の「政界引退説」に火がつきかねない。今回の知事選は現職の達増拓也知事と、元岩手めんこいテ...
記事全文を読む→ようやく果たした政権交代をわずか3年余で再び政権を自民党に明け渡す役割を演じたのが、この野田佳彦であった。野田は東日本大震災で危機管理能力欠如を暴露、退陣を余儀なくされた菅直人のあとを襲った形で総理大臣に就任した。野田は民主党内での存在感は...
記事全文を読む→政権発足から半年の平成22(2010)年の年末には、さすが党内外から「菅政権はすでに末期」との声が挙がり始めた。なるほど、年明けての通常国会召集を待つかのように、菅を見限った民主党内衆院議員16人が離党届を提出、この「民主の乱」すなわち倒閣...
記事全文を読む→戦後政治の大半を担ってきた自民党が政権交代を余儀なくされ、民主党代表だった「名門」鳩山家御曹司の鳩山由紀夫がトップリーダー、総理大臣のイスにすわった。平成21(2009)年9月、鳩山62歳であった。長い自民党政治に飽き、「新風」を期待した国...
記事全文を読む→しかし、政権という重責への執着も乏しかった福田は、何を成すためにトップリーダーのイスに座るのか。掲げた政策課題は、いささか貧弱なものであった。福田は総理就任とともに掲げた自らの内閣を「背水の陣内閣」と、なんとも悲壮感に満ちたキャッチフレーズ...
記事全文を読む→安倍晋三は、前任の小泉純一郎総理の退陣を受け、戦後生まれの初の総理大臣として登場した。平成18(2006)年9月20日の自民党総裁選で、対抗馬の麻生太郎、谷垣禎一に圧勝したものだった。祖父は、かの「安保」で勇名をはせた岸信介元総理、父は、岸...
記事全文を読む→しかし、政界はまさに「一寸先は闇」である。小渕は平成11(1999)年秋の自民党総裁選で、加藤紘一、山崎拓の挑戦を受けたが、圧倒的勝利で「再選」された。加藤、山崎の両人があえて立候補したのは、総裁選後の小沢一郎率いる自由党の連立参加問題にあ...
記事全文を読む→羽田は「二世議員」ながら、当初は政治の世界に入る気はなかった。成城大学を卒業後「小田急バス」に入り、本社の観光課係長などを経て、企画調査室課長で退職した。この間の10年のサラリーマン生活で、羽田が企画した文学ゆかりの地を巡る観光バスによる「...
記事全文を読む→「あんた、総理になるのもいいが“短命”で終わるぞ。それでもいいのか」自民党を結党以来初めて野党に突き落とし、日本新党の細川護熙を総理大臣に戴いた共産党を除く野党8党派による非自民連立政権。だが、1年足らずで細川がスキャンダルによって失脚、そ...
記事全文を読む→自民党を離脱、新生党の代表幹事として野党に転じていた小沢一郎の大仕掛けにより成立したのが、この細川護熙政権であった。政権発足直後の内閣支持率は、じつに83%(『読売新聞』)と異例の高さで、期待の大きさが顕著であった。小沢は自らの新生党に、公...
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