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記事全文を読む→「没後10年」女優・田中好子がラストメッセージでも見せた“寄り添う姿勢”
女優・田中好子が死去したのは、2011年4月21日。享年55。ガンとの闘病の末の永眠だった。東日本大震災から間もなくのことで、その葬儀で流れた本人の「ラストメッセージ」は、今もなお、耳に残るものだ。
「こんにちは、田中好子です。きょうは3月29日。東日本大震災から2週間経ちました…」
心残りを隠さずに、「もっと出たかった」「もっと演じたかった」と絞り出すような声に参列者たちの心の中には、映画とテレビの忘れがたいシーンが次々に浮かんだはずだ。
アイドル時代の田中がメンバーだったったキャンディーズは、当初、スーちゃんこと田中がセンターを務めていた。
「デビュー曲『あなたに夢中』(1973年9月)のレコードジャケットでは、スーちゃんがセンター。パンタロン姿がよく似合っていましたが、この時、左のポジションだったランちゃんこと伊藤蘭が後のキャンディーズのトレードマークとなる超ミニ姿で、ミキこと藤村美樹はショーパン姿でした。『年下の男の子』(75年2月)でランちゃんがメインボーカルとなり、スーちゃんは右、ミキは左のポジションが定位置となったんです」(ベテラン芸能記者)
伝説のバラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」(76年10月~78年3月/NET系)=現・テレビ朝日系=では、悪ガキの男の子に扮したヅラをかぶり、はち切れんばかりの健康美であった。
78年にキャンディーズが解散し、田中も「普通の女の子」に戻ったが、80年に芸能界復帰。そして、89年公開の「黒い雨」(監督・今村昌平)で、原爆の悲劇に見舞われた20歳の女性を演じ、この映画で田中は演技派女優の地位を確立した。
「99年公開の『鉄道員(ぽっぽや)』(監督・降旗康男)では、高倉健演じる鉄道員・佐藤乙松に、田中が、『なんぼなんでもひどいっしょ、乙松さん』『乙さん なして、なして泣かないの』と強い視線を送るシーンがありました。妻の臨終に立ち会わぬ鉄道員の寄り添わぬ“冷静”をなじってみせる乙松の同僚の妻役でした。この同僚の妻はコトあるごとに、寡黙すぎる乙松に代わり、乙松の妻を慰め、寄り添うという役どころでした。吹雪く雪空のもとで、田中演じる役柄の優しさが身に沁みましたね」(前出・ベテラン芸能記者)
思えば、前出の「ラストメッセージ」でも東日本大震災の「被災者の役に立ちたい」と“寄り添う姿勢”を見せた田中であった。
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