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記事全文を読む→日ハムが盟主・巨人に噛みついた本当の理由(4) 浪人生活が選手生命を左右
一方、「明治神宮大会が終わり、全ての日程が終わるまでは、プロ関係者と会う必要がない」と面会を拒否していた菅野だったが、思わぬ幕切れが訪れた。
ドラフトから6日後の11月2日、明治神宮大会の出場枠を狙っての関東地区大学選手権予選で、まさかの逆転負けを桐蔭横浜大に喫してしまったのだ。これにより、日ハムとの交渉は事実上“解禁”になった。
だが、菅野の祖父・原貢氏は
「巨人以外の指名だったら、アメリカに行かせる」
と公言。菅野の父・隆志氏は、
「関係者に迷惑がかかるから早めに結論を出す。一浪という選択肢もある。大学の施設はすばらしいし、そういう選択肢もある」
と大学院の進学を匂わせてもいる。
菅野が日ハムの指名を拒否した場合、社会人か独立リーグに所属した場合は、2年間はドラフトの対象外になる。米大リーグや米独立リーグに所属した場合も同様である。
あくまで、1年間の浪人にこだわるならば、海外留学か、大学院への進学、もしくは自主トレの3つの方法しか残されていない。
巨人の歴史を振り返ると、77年にクラウンの指名を蹴って、南カリフォルニア大学に留学した77年の江川卓の例があるが、必ずしも選手にとって得策とは言えないようだ。当時の監督だった長嶋茂雄氏も、「(入団後)秋の伊東キャンプで徹底してしぼり込んでも、元に戻るには3年間はかかった」と語っていたほど。
同じく89年にダイエー1位指名を蹴って、アメリカで1年間を過ごしたあと、巨人に入団した元木大介ものちに、「あの1年がなければ、もっといい選手になっていたはず」と悔やんでいた。
さらには、2年間のブランクはより深刻だ。過去にはロッテを蹴って、松下電器に進んだ90年の亜大の小池秀郎や、同じくロッテを拒否して住友金属に進んだ76 年ドラフトの駒大の森繁和の例はあるが、いずれもプロとしての旬を逃してしまい、プロ入りしたあとも目立った成績を残していない。
高3の夏に神奈川県大会の決勝で敗れ、甲子園でその姿を見せることができなかった菅野は、春の大学選手権、秋の神宮大会にも出場を果たせず、神宮球場で雄姿を見せるという目標を果たすことができなかった。
「最後は菅野本人が決めると言うが、祖父の原貢氏の意向に従うのは、原家の家訓。それに逆らったのは、辰徳が結婚を申し出た時ぐらいです。恐らく東海大の系列で1年間、面倒を見てもらうのではないですか」
と見る関係者も多い。
一方、すっかり旗色の悪いのが、果敢に指名をした日ハムだ。ここに来て、「挨拶に行ったら、おやじさん(原貢氏)にブン殴られるぐらいの覚悟をしないとな」と、すっかり弱気になってしまっている。
だが、水面下では、巨人と日ハムの間には、選手のトレードを巡っては、依然として蜜月関係にある。
前出・球界関係者が言う。「巨人にFA移籍して成功した小笠原道大など、過去に9人もの選手が、日ハムから巨人に〝移籍〟している。そう考えれば、江川が行ったように、1度入団したあとでの三角トレードも考えられなくもない。ただフェアプレー精神の塊である原監督が、その手法をとるとは思いませんが‥‥」
まさに日ハムが仕掛けた巨人との“30年戦争”。菅野が下す決断とは!?
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