もう真夏の外出は、根性で乗り切る時代ではないらしい。気象庁は今年、最高気温40度以上の日を「酷暑日」と新たに決めた。猛暑日を超える暑さが日常化したことで、服そのものが冷却機器になる流れも加速している。これまでのファン付きウェアは「現場作業用...
記事全文を読む→沢田亜矢子「未婚のままアメリカで極秘出産」をめぐる激烈取材攻防/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史
令和の今とは違い、芸能マスコミがまだバリバリに元気だった80年代から90年代は、毎日が抜くか抜かれるかの戦国時代。ただ、タレントを抱える芸能プロからすれば、致命的なスキャンダルは命取りとなる。そこで芸能プロがよく使ったのが、週刊誌記者がタレント本人や事務所に直撃取材をかけた瞬間、懇意にしているスポーツ紙記者に情報をリークし、好意的に記事を書いてもらった後、本人が記者会見を開くというパターンだった。
どんな世界にも駆け引きはあるものだ。そして常にゲリラ的な取材をかける「いちげんさん」の週刊誌より、コトあるごとに取材に来てくれる、付き合いが深いスポーツ紙記者との関係が深まることも、自然の摂理といえるだろう。
正直、この時の裏側はわからない。ただ、おそらくは、そんな流れで行われたものだと理解しているのが、1989年6月の沢田亜矢子の「未婚の母」告白記者会見だった。
当時、筆者が所属する週刊誌編集部に、沢田がニューヨークで極秘に女児を出産した、との一報が届いた。会見の1カ月ほど前のことである。しかも、女児は妹の戸籍に入っているという。早速、専従チームが編成され、事実確認作業が始まった。
詳細は伏せるが、情報源は彼女にごく近い関係者。相手と目された男性の名前も、その時点で数名が挙がっていた。そして原稿締め切り当日、材料を揃えて関係各位を総当たり。しかし、本人も事務所も「妹の子供です」と全否定。ただ、デリケートな案件だけに、間違いない確証が取れなければ掲載できないとの判断で、校了ギリギリまで所属事務所と交渉を続けることになった。
ところが、である。校了翌日の6月13日、さるスポーツ紙の一面に「沢田亜矢子 4年前に米国で女児を極秘出産 揺れる母心」なる記事が大々的に掲載された。同日、沢田が弁護士を伴い、記者会見に臨むことになったのである。
ぶっちゃけて言えば、編集部の完敗だった。沢田いわく、1985年8月に米ロサンゼルス郊外の病院で女児を出産。翌月に帰国した後、妹の実子として戸籍に入れる。沢田は言った。
「子供が学校に行くまでには、しかるべき手続きをとって、実子として籍を入れるつもりでした。(未婚で子供を産んだのは)女としての生き方を貫徹したかったからです。自分の判断と責任において、自分自身で判断しました。その責任は自分で取っていきます。相手の男性には何も相談せず、私のエゴで黙って産みました。認知を求めることは考えていません」
相手の男性には、出産の事実もいっさい、伝えていないという。そこから各社による「父親特定作業」が始まったことは言うまでもないが、シンガーソングライター、作曲家として活動する娘「澤田かおり」の名を目にするたび、あの日のことが脳裏をよぎるのだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。
アサ芸チョイス
ドジャース・大谷翔平の第二子誕生をめぐって、フェミニストを名乗る女性たちがSNS上で「多産DVだ」「年子出産は女性虐待だ」と騒いでいる。大谷夫妻は昨年4月20日に第一子誕生を報告、この6月20日に第二子誕生をアナウンスした。これら誹謗中傷コ...
記事全文を読む→一発出たら同点。3-7と4点をリードされて迎えた7回裏、二死満塁の場面。この日いちばんの勝負どころで、広島・新井貴浩監督がベンチから送り出した代打は捕手・石原貴規だった。結果は空振り三振。最大の山場でなぜ、より長打を見込める打者を送り込まな...
記事全文を読む→これはトレードのショーケースなのだろうか。そう思ってしまったのは、阪神タイガースの梅野隆太郎捕手が2軍から再昇格し、6月23日のヤクルト戦に即スタメン出場して攻守に高い能力を見せつけたことだ。1-0とリードした5回に二塁打を放ってチャンスメ...
記事全文を読む→

