さるベテラン芸人曰く「芸人を一生続けてたら、誰でも一度ぐらいは賞を取ったり、多少のブレイクはしたりするもん」なのだそうだ。ところが、還暦を目前にして、そのたった一度すら売れたことがない芸人がいるという。ついには占い師に弟子入りもした、内藤大助似のピン芸人・ギブ↑(アップ)大久保(58)を直撃した。
ーそもそも現在の芸名は、「ギブ大久保」から運を上げようとしての改名だったが、「ギブアップ」とはまるで芸人を「あきらめた」かのようだが‥‥。
大久保 いや、あくまで「ギブ↑大久保」と書いて「ギブ上がる大久保」だったんです。ところが長年付き合いのある後輩芸人から「『ギブアップ』がいい」と言われて。確かにその読み方にしてから、心なしか仕事が多少は増えた気がしますね。
ーそれでも収入面の大苦戦を聞いている。「一緒にいて財布を開くのを見たことがない」と言った芸人も。
大久保 出そうと思うと出してもらったりで‥‥。もちろん、後輩がいたら出しますよ。でも、これまで様々なバイト収入を足しても月収が20万円以上だったことが一度もないですから。
ー平成元年デビューの芸歴35年。その間には、日の目を見るチャンスもチラホラあったとか。
大久保 役者志望から芸人にシフトして、(当時、芸人育成を強化していた)ホリプロの「お笑い勉強会」に行ったら、ドキュメント番組のカメラが入っていた。そこで爆笑問題、Z-BEAM(2組ともすぐ売れっ子になっている)とともにピン芸人では唯一僕が密着されたんです。東京では深夜2時でしたが、関西ではゴールデンで放送されました。「これは」と、ちょっと勘違いしちゃいましたね。
ー結果は言わずもがなで。
大久保 ですね(笑)。
ーその後は大手や新興問わず様々な事務所を渡り歩き、ピン芸人だけでなくコンビやトリオでも活動。ボキャブラブームに乗るわけでもなかったが、苦節20年。08年にWBC世界フライ級王者・内藤大助の台頭で思わぬチャンスが到来、そっくり芸人としてテレビからオファーが来た。
大久保 これはいけると思いました。まずフジテレビの番組に出演して、「次回もあるよ」と好評で終わった。そして、すぐに日本テレビからもオファーが来て出たんです。ところが、当時は両局のものまね番組をハシゴしてはいけないという規制があったようで‥‥。タブーを犯したことで、呼ばれなくなりました。
ーそのブレイク目前だったものまねだが、顔が似ているだけで一切しゃべりがない出オチだったとも。
大久保 そうですね。プロレスラー・大谷晋二郎さんのものまねもそうです。
ー内藤似ということであれば、今ならメジャーから日本ハムへの逆輸入ルーキー・加藤豪将も成立する。
大久保(スマホで調べて)これは似てますね。あと日本維新の会の小野たいすけもいけると思ってます。
ーでも全員、出オチ?
大久保 そうですね。
ー10年ほど前からは、占い師に弟子入りもした。
大久保 46歳の時に、占い師を目指しました。どうせ行くならすごいところ、と原宿の母の弟子になった。
ー兄弟子にあたる、島田秀平がその道でバカ売れしていたことも影響した?
大久保 それもありましたが、僕が39の時に68で亡くなった母が占い好きだった。そのせいで子供の頃から占いと縁があったんです。修業後、知り合いの社長のはからいで客を取って占いをしていたら、師匠から「お店に出なよ」と。テレビ企画で有名芸能人をタロットで占ったこともあります。食っていけるかと思いましたが、店では3カ月しか続きませんでした。
ー並行して芸人は続けていても、とにかく収入を確保しなければならない。
大久保 今のバイトは芸人つながりのバーのみ。そこでお客さんを占うと、500円のチップをいただける。それを貯金箱に入れて、何かあった時に役立てています。コロナ禍の時は助かった。
ー芸人として、還暦までに売れることはまだあきらめていない?
大久保 今は音楽イベントで「昭和の感覚が抜けない」という自虐ネタを披露しています。でも、一番成功したいのは占いですよ。それでも、師匠が占い師への転身は許さず「両方やりなさい」と言うもんで。いずれにせよ、占っても自分の将来だけは見えてこないんですよね(笑)。