11月に入り、朝晩の冷え込みが一段と身に染みるようになると、仕事帰りの赤提灯や大衆酒場で恋しくなるのが、湯気立ち上る燗酒だ。夏場の冷酒一辺倒から温かい日本酒へシフトする左党が増える時期だが、暖簾をくぐって開口一番「とりあえず熱燗で!」と大雑...
記事全文を読む→リアルでグロテスクな姿を見た南極観測隊員の激しい動揺/「南極1号2号」開発秘史(5)
下腹部に黒ブタの毛が密植された、両手両足のないグロテスクな人形。正式名称「保温洗浄式人体模型」、通称「南極1号2号」を積んだ観測船「宗谷」は1956年(昭和31年)11月8日、第1次南極地域観測隊の越冬隊員53名らとともに、東京の晴海港を出港した。
第1次越冬隊の隊長を務めた西堀栄三郎の「南極越冬記」によれば、南極に到着後、西堀は自らの手で基地の裏手にイグルー(圧雪ブロックを積み上げた雪小屋)を造って南極1号の安置場所としたという。イグルーの入り口にはテントの布が垂らされ、内部には布団に横たえられたケバケバしい姿の南極1号のほか、西堀が手書きした取扱説明書、ワセリン、湯を沸かすための登山用携帯コンロとコッヘルなどが置かれていたとされる。
その後、越冬準備が整ったある日、西堀は朝食の席で南極1号の存在を越冬隊員らに告げた。西堀が南極1号を「べんてん様」と紹介した時、隊員らからどよめきに似た声が上がったという。返す刀で西堀は「1日につき1人」「年長者から順番に」などの使用ルールを隊員らに示したとも言われている。
だが、南極1号のあまりにも異様で不気味な姿は、越冬隊員らの気持ちを萎縮させたようだ。新田次郎の実録的小説「氷葬」にも、南極1号のリアルな姿を初めて目の当たりにした隊員の動揺が、次のように描かれている。
〈恥丘には黒々とブタの毛が植えつけられていた。黒いタワシを埋めこんだようであった。隊員の一人が人形のそこを開いた。そこには、ふちを赤く彩った花びらがあり、そこだけは抜き取ることができるようになっていた。その隊員は、真面目な顔をして、その構造を確かめると、なにかひどく汚い物にでも触れたような顔をして、その手を振りながら外へ出て行った。二度と入ってはこなかった〉
西堀や新田が書き遺したところによれば、若い越冬隊員の中には興味津々で「べんてん様」の鎮座するイグルーをお参りする者もいたが、いずれもそのグロテスクにしてケバケバしい姿を目にして、退散してしまったようである。結局、第1次越冬隊の越冬期間中、南極1号を使用した隊員は皆無だったと言われている。
では南極1号はその後、どうなったのか。一説には帰還する越冬隊とともに宗谷に積み込まれて、船内で処分されたと言われるが、新田の「氷葬」によれば、南極1号はイグルーともども氷原に葬り去られた、つまり氷葬に付されたとされている。
いずれにせよ、南極1号が本来の「任務」を全うすることなく、実に数奇な運命を歩んだことに変わりはない。(文中敬称略。つづく)
(石森巌)
アサ芸チョイス
脳梗塞で療養中だった伊達みきお(サンドウィッチマン)が、10月31日の「サンドウィッチマンザ・ラジオショーサタデー」(ニッポン放送)で、2カ月ぶりに復帰した。「さあ、時刻はお昼の1時を回りました。こんにちは。サンドウィッチマンの伊達みきおで...
記事全文を読む→泉ピン子が訴えられた。映画製作会社「HumanPictures」が11月3日、所属監督の映画「AYUMI」と「養父」に出演したピン子に対し、損害賠償を求め2日付で東京地裁に提訴したと、公式Xで公表したのだ。問題が発生したのは、10月23日に...
記事全文を読む→毎日のように見聞きする「不正アクセスによる情報漏洩」のニュース。もはや情報漏洩していない企業のほうが珍しいんじゃないのってくらいだし、それどころか官公庁にまで被害は及んでいる。三菱UFJフィナンシャル・グループが、2027年3月までの開業を...
記事全文を読む→

