20世紀最大級のミステリーと言われてきた、イギリス・スコットランドのネス湖に生息するという未確認動物(UMA)の「ネッシー」に、再び熱い視線が注がれている。いったいなぜか。一時期は目撃情報が激減し、専門家からは死亡説や、人間の活動を警戒して...
記事全文を読む→緊急追悼連載! 高倉健 「背中の残響」(17)あえて“言わない”を貫く
「考え直してください!」
急を聞きつけ、東映の重役が北海道まで飛んできた。安藤が旭川から札幌に向かうのに時間がかかったため、東京からの便が先に着いたのだ。それでも安藤の答えは変わらない。
「男がいったんケツをまくったんだ。はい、そうですかとはいかない。そのまま東京へ帰ったよ」
前代未聞の逃走劇に、石井監督は頭を抱えた。ラストシーンは高倉と安藤が馬を並走させ、吹雪の中を大平原の彼方へ去っていくというものだった。
撮影できなかった部分がどうなったのか、安藤は完成作を劇場で観て驚いた。
「そのシーンがない代わりに、俺の吹き替えを使って、東北の街で撃たれて死ぬシーンになっていたよ」
監督による“意趣返し”とも取れなくもないが、では、主演の高倉はどうだったか? 安藤は身を乗り出して強調した。
「このことについて、健さんは何も言わなかった。俺に面と向かって言うことはないにしても『こんなことがあったんだ』と、誰かに恨みがましいことを口にしても不思議じゃない。いや、むしろそれが人情というものだろう」
東映だけでなく、日本の映画界を代表するドル箱スターである。前年には「網走番外地 大雪原の対決」が年度別興行成績の1位に輝いている。それでも高倉は、共演者の非常事態を責めなかった。
「誰かに話していれば『健さんがこんなことを言っていた』と俺の耳に入るが、そんなことは一度もなかった。言いたいこともあっただろうに、男らしいね」
この件で安藤と高倉の仲がこじれることはなく、以降も多くの任侠作品で共演している。また石井監督にも含むところはなく、再び「現代任侠史」(73年、東映)で組んだ。
安藤はまた、菅原文太を東映に移籍させた立役者でもある。2大スターとの邂逅は、同時に映画界における「盟主争い」も見つめたことになる。
「10年以上にわたって東映を引っ張ってきた健さんの任侠路線が次第に下火になっていって、それに取って替わるように『仁義なき戦い』(73年、東映)という実録路線が大ヒットして菅原文太が出てくる。これが時代の〈潮目〉というやつで、これに抗うことはできない」
実録ブームの渦中にある76年に高倉は東映を退社し、フリーとして生きる決意をする。映画産業も下降線をたどっており、決して洋々たる未来ではなかったはずだ。
それでも、と安藤は言う。
「潮目が変わり“引き潮”になって東映を退社するわけだけど、フリーになって辛抱し、やがて『八甲田山』(77年、東宝)や『幸福の黄色いハンカチ』(77年、松竹)でみごと、再び“上げ潮”に乗ってみせた」
再浮上はいかにしてなしえたのか──、
「健さんは、役者であることに命懸けで生きてきたんだろう。四十余年前、クルマの中から通りすがりに見ただけだけど、あのとき健さんが発していたオーラは、たぶん、その覚悟と決意が発散していたのではなかったかと今は思うんだ」
アサ芸チョイス
「ゾンビたばこ」と呼ばれる指定薬物「エトミデート」は、広島カープに大きな衝撃を与えた忌まわしいブツだ。元広島カープの羽月隆太郎氏にこれを譲り渡したとして医薬品医療機器法違反の罪に問われた会社役員・滝口涼介被告の初公判が9月16日に広島地裁で...
記事全文を読む→沖縄県の新知事、古謝玄太氏の周辺がキナ臭くなっている。9月13日の沖縄県知事選では開票0%で当選確実が出たが、9月16日にX上で「浮島龍美」を名乗る人物が古謝氏の家族の通学先、関係先を特定、拡散。17日になってもネット上の愉快犯が浮島氏の投...
記事全文を読む→長年、親しまれた「Suicaのペンギン」の後釜は、どのキャラになるのか。JR東日本が進める「Suica」の新キャラクター選びが、思わぬ波紋を広げている。現行のペンギンは2001年のサービス開始から、カードや駅の案内でおなじみの存在。今回の交...
記事全文を読む→

