沖縄に続いて本州でも梅雨入りが近づく中、全国の家電量販店で熱い視線を集めているのが「衣類乾燥除湿機」だ。部屋干しが増える季節の必需品だが、物価高と電気代の高騰がダブルで直撃する2026年は、単に「乾く」だけでなく「いかに電気代を抑えられるか...
記事全文を読む→ボールパークの先駆け「光の球場=東京スタジアム」大毎&ロッテ本拠地の盛衰物語
巨人の本拠地・東京ドームの築地移転が現実味を帯びる中、かつて東京・荒川区に「光の球場」と呼ばれるボールパークがあったことを覚えている野球ファンはいるだろうか。
1962年5月に開場した東京スタジアムは、両翼90メートル、中堅120メートル、内外野は一部クレー舗装と天然芝を用い、公称3万5000人の収容人数を誇る球場で、夜になるとナイター照明が放つ光が周辺に瞬く光景から「光の球場」と呼ばれた。
スタンドの座席は場所ごとに色分けされ、シートスペースが広く取られていたことから「ゆったり座れる」と好評だった。今でこそマツダスタジアムやエスコンフィールドのように、広めの座席を設置する球場が増えているが、今なお狭い球場が圧倒的に多いことを考えると、画期的だった。
左翼スタンドから三遊間後方にかけての地下には、ボウリング場が併設。シーズンオフには内外野のスタンドの上にスケートリンクが設置され、巨大な屋外スケート場となった。将来は映画館やレストラン、デパートを併設予定だったというのも、「ボールパーク」のゆえんとなっている。
球場を造ったのは大映の社長で大毎球団オーナーの、永田雅一氏。当時、後楽園を本拠地にする巨人の人気に対抗するため、建設費のほとんどを私財で賄い、自前の球場を完成させた。
1970年、大毎からロッテに名前を変えたチームは、有藤通世や小山正明らの活躍もあり、2位の南海に10.5ゲーム差をつけて、10年ぶりにパ・リーグを制覇。優勝を決めた東京スタジアムのグラウンドに次々とファンが乱入する中、「東京音頭」の歌声に乗って永田オーナーが宙に舞った。
残念ながら大映の倒産により、1972年に閉場。1977年に取り壊されている。サンフランシスコのキャンドルスティック・パークをモデルに作られ、下町の暗闇を明るく照らした「光の球場」は、今でも地元住民の間で、懐かしい思い出として語られている。
(ケン高田)
アサ芸チョイス
現在公開中の映画「人はなぜラブレターを書くのか」。オフィシャルサイトを参考に、簡単なあらすじを説明すると、「2000年3月に発生した地下鉄線脱線事故で亡くなった青年へのラブレターが、2020年に彼の家族の元に届いた。それは青年に秘かに想いを...
記事全文を読む→問題発言をめぐる「あの×鈴木紗理奈」のバトルが、第2ラウンドに突入しようとしている。大騒動の発端となったのは、歌手・タレントのあのが出演する冠番組「あのちゃんねる」(テレビ朝日系)の、5月18日深夜の放送だ。お題に答えてシュートを決めるゲー...
記事全文を読む→〈羽月。ええ加減にしろよ。配信見たよ。今更何言っとんな。俺は許さんで。羽月、今回の件に関わる動画出すからレスポンスしろよ。待ってるからな〉ロッテ、阪神などでプレーした元プロ野球投手・高野圭佑氏がXにこう投稿した。「羽月」に対してなにやら怒り...
記事全文を読む→

