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記事全文を読む→世界遺産「アンコールワットに落書き」やらかし武士はインドの祇園精舎と勘違いしていた
ユネスコ世界遺産(文化遺産)に落書きをした、やらかし武士がいる。カンボジア北西部に位置するアンコール遺跡のひとつ、アンコールワットは、その遺跡群を代表する巨大な寺院だ。そんな世界的に貴重なものに落書きするなど、今なら国際問題に発展しかねない。
犯人は立派な武士だった。それが虎退治で有名な加藤清正の重臣で、加藤十六将にも数えられる森本一久の次男・森本一房(右近太夫)だというから驚く。
一房が同地を訪れて回廊の柱に墨書、つまり落書きしたのは寛永9年(1632年)のことだ。一房は当時、加藤藩を辞して肥前の松浦藩に仕えていた。これが運命を変えることになる。
松浦藩の領内には平戸という国際的な貿易港があり、朱印船貿易をしていた。徳川幕府の初代将軍・徳川家康は海外貿易に積極的でベトナム、タイ、台湾、カンボジアなどと外国関係を結んでいた。慶長9年(1604年)から寛永12年(1635年)までの間に、約350隻の御朱印船が、日本から出港したという。
元和2年(1616年)以降は朱印船の出入港が肥前の長崎と平戸に限定されたが、藩士だった一房には渡航、海外旅行のハードルが低かったのかもしれない。
父の現世利益と亡父の菩提を弔うため朱印船に乗り、インド(天竺)にあると思われる祇園精舎を目指した。ところが辿り着いた先はインドではなく、カンボジアのアンコール・ワット。当時の日本人の認識はその程度で、カンボジアは南天竺と呼ばれており、混同しても不思議ではないのだ。
落書きは「寛永九年正月初而此所来」から始まり、12行ある。4体の仏像を奉納したことなどが書かれた。水戸徳川家には「祇園精舎図」が伝わっているが、これは一房が描いたアンコール・ワットではないかと言われている。
その後、政策によって東南アジア方面との往来が禁止されたため消息不明となったが、いつしか帰国。亡くなる延宝2年3月28日(1674年5月3日)まで、父の生誕地である京都の山崎に住んでいたといとう。
仏教の聖地である祇園精舎と勘違いし、アンコール・ワットに落書きした一房は、まさに「知らぬが仏」ということか。現在、その落書きは上から墨で塗りつぶされている。
(道嶋慶)
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