平成の大横綱が角界を去った。圧倒的な功績は誰もが認めるところだが、品格を問われる“蛮行”も目立つ男だった。両面で「出る杭」であり続けた白鵬。その結果が「退職」とはいえ、さすがにこのまま斯界を離れることにはなるまい。ブチ上げた「世界相撲グランドスラム」には倍返し、否、相撲協会をぶっ壊しかねない火薬が込められていたのだ。
「余りあるサービス精神や行動力が協会幹部から嫉妬を買った。それでも政治力があればまた違った未来もあったのでしょうが‥‥」
さる角界関係者に同情されるのは、6月9日付で日本相撲協会を退職した白鵬翔(40)だ。現役時代に記録した通算1187勝と幕内優勝45回は歴代最多にもかかわらず、親方としてのキャリアはわずか4年弱であっけなく終了。退職日に開かれた会見も肩透かし感は否めなかった。スポーツ紙デスクが振り返る。
「円満退職だとアピールしたかったのでしょう。退職理由の1つとして報じられてきた伊勢ヶ濱親方(33)=元横綱照ノ富士=について、『下が嫌だというのはまったくありません』と否定するなど、協会側におもねるような受け答えが目立ちました。会見前から『子供も見ているので』というアナウンスで牽制されていたので、協会との確執を想起させる質問もほとんどナシ。白鵬の本音は封印されていたも同然です」
相撲協会を追われた大横綱─。そんな構図で再出発を図るハメになったのは自業自得の面もあった。相撲ライターが話す。
「17年九州場所で当時幕内だった嘉よし風かぜに敗れたことを不服として、みずから物言いをつけたり、表彰式で会場に万歳三唱を促うながすなど横綱の品格を疑う“蛮行”は目立った。万歳三唱は後輩への殴打事件で外された元横綱の日馬富士を再び土俵に上げたいという主張でもあったため、『何様だ!』と協会内外から大ヒンシュクを買った。19年大阪場所で全勝優勝した表彰式のインタビュー後、観客に呼びかけて三本締めを行った。表彰式後に『神送りの儀式』という神事で終えるのを勝手に締めたことで、横綱審議委員会の白鵬を見る目が一段と厳しくなった。それ以降は力士としての晩年でもあり、休場も目立っていた」
相撲協会は白鵬が問題行動を起こすたびに、「横綱の品格にかかわる」と厳重注意を下してきた。それでも“クスリ”が効いていないと判断したのだろう。21年9月に引退して親方に転身する時には「誓約書」へ署名までさせていたのだ。
「『相撲道から逸脱した言動をしない』『新人親方として、理事長はじめ先輩親方の指示を守る』という契ちぎりを交わさせられました。こんなこと、異例中の異例ですよ。そもそも、横綱時代にもみずから内弟子をスカウトして、師匠さながらのふるまいをしていたのが協会内で問題視されていた。強豪・鳥取城北高校相撲部の総監督を父親に持つ間垣親方(35)=元前頭石浦=を内弟子にして、アマチュア相撲界との太いパイプも築いていたのです」(スポーツ紙デスク)
加えて、15年前から主催している少年向けの世界相撲大会「白鵬杯」も親方衆に嫉妬心を抱かせることにつながっていた。
「白鵬がスカウトしたモンゴル人の小学生を相撲強豪校に留学させるための見本市も兼ねていたようです。『外国人力士は各部屋1人』というルールがありますが、日本在留10年以上の場合は特例で入門できる。中学から相撲留学させれば、10年後に“日本人”として扱われるんです。現在でも強豪校を卒業して、実業団で“浪人”を余儀なくされているモンゴル人がいますからね。相撲振興を大義名分にしていただけに、八角理事長(61)ら協会幹部も文句を言えませんでした」(スポーツ紙デスク)
しかし、24年2月に白鵬のトラブルが公表される。先代から宮城野部屋を継承して1年も経たないうちに窮地に立たされたのだ。
「弟子で当時幕内の北青鵬(23)の暴力行為を隠いん蔽ぺいしていたんです。長期間にわたり協会への報告を怠ったため、監督責任を問われ『平年寄』への降格と減給。宮城野部屋の無期限閉鎖も決定しました」(スポーツ紙デスク)