相撲協会側はここぞとばかりに白鵬を責めたが、理解を示して彼をかばう親方もいた。
「芝田山親方(62)=元横綱大乃国=だけが、処分を議論する理事会で『他の部屋の事案と比べて処分が重すぎる』と反論していました。と同時に、白鵬の移籍先として立候補した。当初、白鵬は大島部屋への移籍を希望しましたが、協会幹部に『(大島親方(50)=元関脇旭天鵬=)が同じモンゴル出身だからダメ』と一蹴されてしまった。加えて、将来の理事長候補と言われる浅香山親方(52)=元大関魁皇=からは、部屋のキャパと後援会のバランス崩壊を懸念して断られていた。力士時代に尊敬していた浅香山親方に見放されたのはかなり堪こたえたようです」(角界関係者)
ところが、3月末に移籍先に選ばれたのは芝田山部屋ではなく伊勢ヶ濱部屋だった。
「芝田山部屋は在籍力士のほとんどが30歳オーバーで落ち着いており、部屋のキャパも余っているだけに、条件としては最適解でした。しかし、八角理事長やナンバー2の春日野親方(63)=元関脇栃乃和歌か=が首を縦に振ることはなかった。一門が違いますからね。そこで芝田山親方が移籍先として頼ったのが、旧知の仲でもあり、当時の伊勢ヶ濱親方(64)=元横綱旭富士=でした。宮城野部屋は同じ伊勢ヶ濱一門でもあるのでスムーズに話が進んだようです」(角界関係者)
だが、白鵬のために動いた代償は大きかった。芝田山親方は協会幹部から“謀反人”同然の扱いとなってしまう─。
「今年3月末の執行部人事で相撲教習所所長に左遷されてしまったのです。慣例として新米理事が担当するいわば“閑職”であり、理事会でも発言力は弱くなる。かねてより、理事会で空気を読まずに正論ばかり吐く芝田山親方を、八角理事長ら協会幹部は煙たがっていました。白鵬を支える動きが、粛清人事を発動する絶好の“口実”になってしまったのです」(角界関係者)
移籍先が決まっても一件落着とはならない。弟子たちは部屋同士の文化の違いに恐れおののいており、
「当時から、現役横綱だった伊勢ヶ濱親方を筆頭に多数の関取衆がひしめいていました。当然ながら、毎日の稽古もレベルが高い。しかも、時には“かわいがり”の厳しさもいとわない。白鵬と弟子たちが大島部屋を移籍先に希望したのも、稽古が緩かったのが一番の理由とか。そのギャップに耐えられない旧宮城野部屋の弟子たちは、どんどん辞めてしまいました」(スポーツ紙デスク)
結果として、移籍前に19人いた弟子は半数近くに減少。その一方で部屋に順応し出世を果たした力士もいる。幕内の伯桜鵬(21)だ。
「もともと、鳥取城北高の先輩でもある伊勢ヶ濱親方からラブコールをもらっていて、最後まで宮城野部屋とどちらに入門するのか揺れていたようです。合流当初は選ばれなかった伊勢ヶ濱親方から執拗にキツい扱いを受けたといいます。ケガなどで休んでいても、『落合(白桜鵬の本名)を呼んで来い!』と稽古場に引き戻されることがあったそうです」(角界関係者)
しかし稽古がつらかろうが番付が上がるなら話は別。弟子の中には白鵬から心が離れる者が出始める。
「伯桜鵬や7月場所の新入幕が決まっている草野(23)は、仮に宮城野部屋が再興しても伊勢ヶ濱部屋に残留する意向だったといいます。閉鎖から1年が経過しても再興の話がない状況に、白鵬の指導も力が入らなかったのか。今回の退職にしても、芝田山親方に相談するばかりで弟子たちは蚊か帳やの外。そんな自分中心の師匠に、弟子たちも愛想をつかしていました」(相撲ライター)
自業自得な側面もあるものの、ここまで追い詰められれば、会見での円満退職の強調もむなしく見えてくるのだ。