中国には「千人計画」なるものがある。世界トップクラスの科学者や技術者を中国国内の大学や研究機関に招致するというものだ。破格の好待遇に釣られ、アメリカ司法当局から起訴されて有罪判決を受けた元ハーバード大学教授が、今では中国に渡り、研究所の所長...
記事全文を読む→【世界の「最凶独裁者」列伝】「原始共産主義」でカンボジア国民200万人を虐殺した「ポル・ポト」の異常な思考
「20世紀で最も深刻な人権侵害のひとつに関する証拠」――。
ユネスコ世界遺産委員会が7月11日に発表したのは、大量殺戮の現場だった。
1970年代、カンボジアのポル・ポト首相は、「クメール・ルージュ」(ポル・ポト派)の指導者として君臨した。政権を握っていたのはわずか3年8カ月だが、その間にカンボジアでは170万人もの国民が虐殺され、さらにこの男が掲げる原始共産主義により、当時のカンボジア人口の4分の1から3分の1に相当する200万人が犠牲になったとされる。
そんなポル・ポト(本名:サロット・サル)が裕福な農家に生まれたのは、1925年である。1949年にパリに留学後はカンボジアに戻り、教職に就いた。だがそれは、あくまでも「表の顔」である。裏では「クメール・ルージュ」に参加し、教師と革命家という2つの顔を持っていた。
やがてポル・ポトは、地下活動を活発化させていく。1970年の軍事クーデターをきっかけに諸国から援助を受けた「クメール・ルージュ」は1975年、首都プノンペンを陥落させ、政権を奪守。翌1976年、新政権の首相に就任した。
国民の誰もが「これでようやくカンボジアに平和が戻ってくる」と信じたのも束の間、首相となったポル・ポトが掲げたのは、パリで心酔した原始共産主義だった。
原始共産主義とは、農業で完全自給自足化し、収穫物を平等に分け合うというものだ。手始めとして、400万人のプノンペン市民が農村へと強制移住させられ、労働を強いられた。さらに通貨が廃止され、財産を没収される。宗教、娯楽、恋愛に至るまで、全てが禁止されることになったのである。
これと並行した始まったのが、全てのインテリ層の粛清、つまり虐殺だった。ポル・ポトは「優遇措置」と称しては、教師や医師、技術者を集めて銃殺。眼鏡をかけているだけで「インテリに違いない」として殺害した。
その場での殺害を免れた者は「S21」と呼ばれる施設での激しい拷問の末、処刑される。その数、およそ1万4000人に及んだとされる。
そして反乱の危険性がない少年兵を重要したポル・ポトは、少年兵に600万個にも及ぶ地雷をバラ撒かせた。
誕生から2年8カ月、ポル・ポト政権はベトナムの協力を得た反政府組織により倒されたが、ポル・ポトはジャングルに潜み、死ぬまでゲリラ活動を続けたという。
そんなポル・ポトが死去したのは1998年。この独裁者の命令によって大量殺戮が行われた「キリングフィールド」からは、おびただしい数の人骨が発見されたのだった。
(山川敦司)
アサ芸チョイス
スポーツの歴史にはしばしば、監督やコーチと選手の「師弟愛」がクローズアップされる。しかし、師が放ったひと言をきっかけに、長年培ってきた関係に終わりが告げられることに。それが2003年11月16日、名伯楽の小出義雄監督が「Qちゃん」こと高橋尚...
記事全文を読む→ピン芸人の中山功太がバラエティー番組の収録中に語った「10年間ぐらいずっといじめられた先輩がいる」と告白してからしばらくが経つが、あの騒動が芸人の間で「ひとごとではない」として波紋が広がり続けているという。問題の「先輩」とされるサバンナ・高...
記事全文を読む→元ウェザーニュースキャスターの檜山沙耶が、2026年7月31日正午をもってオフィシャルサイト「Hiyama Saya Official Site」を閉鎖すると発表した。有料会員は同時刻に自動退会となり、年額会員には残期間分が月割りで払い戻さ...
記事全文を読む→
