空港での待ち時間を快適にしてくれる「プライオリティ・パス」。ところが空港によって、その「おトク度」にはかなりの差があるようだ。その代表格が中部国際空港(セントレア)。異色なのが「くつろぎ処」だ。ここではプライオリティ・パスを利用して展望風呂...
記事全文を読む→【世界の「最凶独裁者」列伝】「原始共産主義」でカンボジア国民200万人を虐殺した「ポル・ポト」の異常な思考
「20世紀で最も深刻な人権侵害のひとつに関する証拠」――。
ユネスコ世界遺産委員会が7月11日に発表したのは、大量殺戮の現場だった。
1970年代、カンボジアのポル・ポト首相は、「クメール・ルージュ」(ポル・ポト派)の指導者として君臨した。政権を握っていたのはわずか3年8カ月だが、その間にカンボジアでは170万人もの国民が虐殺され、さらにこの男が掲げる原始共産主義により、当時のカンボジア人口の4分の1から3分の1に相当する200万人が犠牲になったとされる。
そんなポル・ポト(本名:サロット・サル)が裕福な農家に生まれたのは、1925年である。1949年にパリに留学後はカンボジアに戻り、教職に就いた。だがそれは、あくまでも「表の顔」である。裏では「クメール・ルージュ」に参加し、教師と革命家という2つの顔を持っていた。
やがてポル・ポトは、地下活動を活発化させていく。1970年の軍事クーデターをきっかけに諸国から援助を受けた「クメール・ルージュ」は1975年、首都プノンペンを陥落させ、政権を奪守。翌1976年、新政権の首相に就任した。
国民の誰もが「これでようやくカンボジアに平和が戻ってくる」と信じたのも束の間、首相となったポル・ポトが掲げたのは、パリで心酔した原始共産主義だった。
原始共産主義とは、農業で完全自給自足化し、収穫物を平等に分け合うというものだ。手始めとして、400万人のプノンペン市民が農村へと強制移住させられ、労働を強いられた。さらに通貨が廃止され、財産を没収される。宗教、娯楽、恋愛に至るまで、全てが禁止されることになったのである。
これと並行した始まったのが、全てのインテリ層の粛清、つまり虐殺だった。ポル・ポトは「優遇措置」と称しては、教師や医師、技術者を集めて銃殺。眼鏡をかけているだけで「インテリに違いない」として殺害した。
その場での殺害を免れた者は「S21」と呼ばれる施設での激しい拷問の末、処刑される。その数、およそ1万4000人に及んだとされる。
そして反乱の危険性がない少年兵を重要したポル・ポトは、少年兵に600万個にも及ぶ地雷をバラ撒かせた。
誕生から2年8カ月、ポル・ポト政権はベトナムの協力を得た反政府組織により倒されたが、ポル・ポトはジャングルに潜み、死ぬまでゲリラ活動を続けたという。
そんなポル・ポトが死去したのは1998年。この独裁者の命令によって大量殺戮が行われた「キリングフィールド」からは、おびただしい数の人骨が発見されたのだった。
(山川敦司)
アサ芸チョイス
地上からは想像もつかない深海で、半世紀前に投棄された「核のゴミ」が静かに朽ち果てている――。米メディア「The Week」電子版が、そんな背筋が寒くなるようなニュースを報じた。フランス沿岸から約1000キロ離れた北東大西洋海域の水深約470...
記事全文を読む→中国人民解放軍が公開した一本の「反戦アニメ」に、日本から「ジブリの丸パクリではないか」との批判が集中している。人民解放軍の英語版公式Xは「中国は日本当局に軍国主義との決別を促す」との投稿に2分5秒の短編アニメ「平和の仮面」を添付した。画面に...
記事全文を読む→東京都港区で8月に行われた「麻布十番納涼まつり」で、屋台の「冷やし蟹ラーメン」を食べた78人が下痢や嘔吐などの症状を訴え、3人が入院した問題で、新たな衝撃事実が判明した。東京都と港区は発症者31人と従業員2人の便からサルモネラ属菌が検出され...
記事全文を読む→
