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もし生きていれば時代を変えていたかもしれない、豊臣一族の武将がいる。名前を豊臣秀保という。豊臣姓を名乗ったのだから、あの太閤・豊臣秀吉の血縁だ。天正7年(1579年)、秀吉の一族である木下弥助(三好吉房)と、ともの三男として生まれた。兄は殺生関白と呼ばれた豊臣秀次だ。
秀保は秀吉が最も信頼した秀長の養子になり、場合によっては兄・秀次に代わって秀吉の後継者になっても不思議ではなかった。事実、秀吉は朝鮮征伐が成功すれば、日本の関白職を秀保に譲る計画を持っていたとされる。
兄・秀次には、妊婦を見つけてはその腹を裂いたとか、殺生禁止であるはずの比叡山で狩りを楽しんだ、との噂があり、「摂政関白」と呼ばれた。別人説はあるが、秀保にも同じような噂があった。
殺生厳禁の法隆寺の池で魚を捕り、食べるなどは序の口で、散策中に高い崖を見つけるや、そばにいた家来に「飛び降りろ」と命じたという。これが本当だとすれば秀次、秀保は狂気の血脈を持った兄弟だったのかもしれない。
養父の死後に跡を継ぎ、大和郡山の城主に。兄・秀次が関白になってからは、豊臣一門衆の筆頭格の立場になっている。
この秀保の死因が、実は定かではない。天然痘、疱瘡を患い、十津川付近に療養の湯治に出かけたが、文禄4年(1595年)に急死した、というもののほか、その十津川で溺死した、との説がある。この溺死に関しては、秀保の理不尽な要求に家来がキレて無理心中を図り、一緒に川に飛び込んだためだという。享年はわずか17だと…。
もしその後も生きていれば、秀吉にとっては実子・秀頼が生まれたことで兄・秀次同様に邪魔になり、お家騒動の原因になるとして、秘かに始末された可能性がある。
秀吉は秀保の死を悼まず、葬儀を隠密裡に済ませるよう命じている。派手好みの秀吉らしからぬ態度だ。兄の秀次も秀保の死後、謀反の疑いをかけられて切腹を命じられており、秀次、秀保兄弟が粛清の対象になった、との見方がある。
来年、NHKの大河ドラマは秀吉、秀長の栄華を描いた「豊臣兄弟!」だが、秀次、秀長の豊臣兄弟の末路は悲惨だ。
(道嶋慶)
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