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記事全文を読む→「キャンディーズVSピンク・レディー」50年目の熱狂ステージ(4)世界の王をキリキリ舞いに
キャンディーズの解散宣言は77年7月17日。日比谷野外音楽堂で突然メンバーから発表された。
「野音に行っていた地元の仲間からライブ直後に電話があり、知った時には明日からどうして生きていけばいいんだろうと‥‥頭が真っ白になりました」(石黒氏)
この時、ランが泣き叫びながら発言した、
「普通の女の子に戻りたい」
は、日本の芸能史に燦然と輝く名言となった。
この電撃的な解散宣言からキャンディーズの人気がますます沸騰。シングル「微笑がえし」は最初で最後のオリコン1位を獲得。
翌78年4月4日に後楽園球場で行われた「ファイナルカーニバル」には、5万5000人のファンが殺到。「歌謡界史上最大のショー」と、当時謳われた。
「山口百恵から安室奈美恵まで引退劇は数あれど、引退の美学という道筋を最初に示したのはキャンディーズではないでしょうか」(石黒氏)
「解散コンサートへのカウントダウンが国民的イベントにもなりました。個人的には『楽しいことは永遠に続かない』ことを思い知りましたね」(石原氏)
その年ピンク・レディーは「UFO」で再び「日本レコード大賞」を受賞。さらに「サウスポー」で「第9回日本歌謡大賞」を受賞。歌謡界の頂点を極め、絶頂期を迎えていた。
「ホームランの世界記録を達成したレジェンド王貞治をキリキリ舞いさせる歌にも驚きましたが、王さんが『日本歌謡大賞』に登場。ピンク・レディーに花束を渡すシーンには釘づけになった」(徳光氏)
しかし絶頂期のピンク・レディーにまさかの落とし穴が待っていた。その年のNHK紅白歌合戦への出演を辞退。裏番組「ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!」(日本テレビ系)に出演したことからバッシングが巻き起こり、人気が急落してしまう。翌79年、全米デビューを果たすも1年で帰国。80年の9月1日に解散を発表する。
「全米進出を失敗したと決めつける人もいますが、私はそうは思いません。世界40カ国でリリースされた『Kiss In The Dark』は、全米ビルボードで37位にランクイン。坂本九の『Sukiyaki(上を向いて歩こう)』以来の快挙を達成しています」
そう言って胸を張る徳光さんも、81年3月31日に行われた解散コンサートについては口ごもる。
「小雨まじりの後楽園球場で行われた解散コンサートは空席も目立ち、テレビでライブ中継を観ていて寂しい思いをしたことを覚えています」
伝説のアイドルになったキャンディーズ、国民的なアイドルになったピンク・レディー。ともに4年7カ月という短い活動期間を駆け抜けた2組だったが、その輝きは永遠に色あせることはない。
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