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記事全文を読む→「あんたらは凡人。オレはミケランジェロ」伊良部秀輝とメディアの暗黒バトル/スポーツ界を揺るがせた「あの大問題発言」
その剛速球で、プロ野球界における「昭和の怪物」と恐れられた投手が、伊良部秀輝だった。尽誠学園高校(香川)時代には甲子園に2度出場。ロッテにドラフト1位で指名され、プロ野球選手として初マウンドに立ったのが1987年だ。
しかし入団後は伸び悩み、2年目にして当時の球界最速となる158キロをマークするも、その年は未勝利に終わるなど、結果を出せない日々が続いた。
そんな伊良部が覚醒したのは、1990年代中盤に入ってから。最多勝(1994年)、最多奪三振(1994年、1995年)、最優秀防御率(1995年、1996年)という好成績を収め、やがてパ・リーグを代表する投手に。
ところが1996年オフ、ロッテからのメジャーリーグ移籍をめぐり、大騒動が勃発することになる。当時の日本プロ野球界にはまだポスティングシステムが存在していないため、海外移籍のルールや前例が曖昧だった。球団との契約や移籍先について連日、マスコミによる過熱報道が繰り広げられ、自身のプライベートや去就を書きたてるメディアに対し、不信感とフラストレーションが溜まっていく。
それが限界に達すると、ついにブチ切れた伊良部が報道陣に放ったのが、痛烈なひと言だった。
「あんたら凡人にミケランジェロの気持ちが分かるか? オレはミケランジェロなんだよ」
ミケランジェロは、イタリアルネサンス期の天才芸術家だ。つまり「自分のような並外れた才能を持つ天才の苦悩や心境は、一般の人間(凡人)であるお前たちマスコミには到底、理解できないだろう」と伊良部は言うのである。
「ボールはコントロールできるけど、メディアはコントロールできん」
この発言が翌日のスポーツ紙一面を飾ると、スポーツニュースもこれに追随。一夜にして伊良部は世間から「傲慢」「わがまま」「プロとして協調性がなさすぎる」と猛反発を食らうことになったのだ。
マスコミとはそんな因縁もあり、ヤンキース入団後もメディアの質問には「普通です」などと押し通したが、メディアとの関係性が悪化する一方で、日本人初となるワールドシリーズ制覇に貢献、着実に夢を成し遂げていった。
そんな伊良部が再び日本球界に返り咲いたのは、2003年。前年オフ、阪神に移籍した伊良部は13勝という成績を残し、阪神の18年ぶりの優勝に寄与した。だが翌年は3試合に登板しただけで、オフには戦力外通告を受け、その後、アメリカ独立リーグなどで現役復帰を試みたものの、マウンドに返り咲くことはできなかった。
本人はのちに「ボールはコントロールできるけど、メディアはコントロールできん」という言葉を残しているが、前代未聞の「ミケランジェロ発言」は、伊良部という唯一無二の才能の孤独と、マスコミとの激しい戦いを象徴する出来事として、プロ野球史に残っている。
(山川敦司)
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