少子高齢化の現代において、双子の出生率が増しているという。かつて日本では、双子は「犬畜生と同じ双子腹」と忌み嫌われる存在だった。実は徳川家康の血を引く双子がいたことを知っているだろうか。その双子とは天正2年2月8日(1574年3月1日)、家...
記事全文を読む→徳川家康
遺された家族や家臣たちのため、制度を定め、遺言を遺し、見事に「終活」した武将は誰か?「やはり徳川家康です」と河合氏は断言する。「家康は徳川幕府を開いて、間もなく将軍職を秀忠に譲っています。とはいえ権力を手放さずに、駿府から大御所政治を行って...
記事全文を読む→テリーじゃあ、田沼意次という人は出版に寛容な人だったの?松村出版に寛容というか、僕らの時代はいろんなところから賄賂をバンバンもらって、「悪徳老中」の代表みたいなイメージですけど、実際は産業を興して、商業を盛んにして豊かな暮らしができるように...
記事全文を読む→徳川家康の実子であり、豊臣秀吉の養子にもなった結城秀康が所有していた槍がある。1945年3月10日の東京大空襲で消失したため、今は幻となったものだ。江戸時代には黒田節に登場する日本号と並び称され、明治時代には「天下の三名槍」と言われた御手杵...
記事全文を読む→生涯57度の合戦に参加し、一度も手傷を負わなかった武将といえば、徳川家康の家臣・本多平八郎忠勝だ。その本多忠勝を「カス」呼ばわりした人物がいる。「弓矢の腕では並ぶ者なし」と言われ「軍神四郎左兵衛門」と畏敬された内藤正成である。正成は享禄元年...
記事全文を読む→200人のオンナ鉄砲隊を指揮して徳川家康にはったりをかまし、1万石を勝ち取った戦国時代の女性がいる。織田信長の乳兄弟である池田恒興の娘・池田せんだ。せんは父と同じ織田家臣で、鬼武蔵と恐れられた森長可に嫁ぎ、嫡男の森玄蕃、娘のおこうをもうけた...
記事全文を読む→もし、あのアンドレ・ザ・ジャイアントが3メートル近い刀を手に突進してきたら、どうするだろうか。身長210センチ(七尺)の大男で、日本史上最長とされる288センチ(九尺五寸)の大刀を振り回した戦国武将がいる。講談や軍記物で有名な真柄直隆、十郎...
記事全文を読む→土田孫左衛門という名前を聞いたことがあるだろうか。江戸時代の役職に「公人朝夕人」(くにんちょうじゃくにん)というものがある。朝夕に公務を果たす人、という意味だ。作家の井上ひさしが書いた「おれたちと大砲」という作品にも登場している仕事である。...
記事全文を読む→今年のNHK大河ドラマ「どうする家康」は、徳川家康の生涯を描いたものです。家康といえば、その死因が「鯛の天ぷらを食べたことによる食中毒」という説を聞いたことがある方もいるかと思います。私も幼い頃にその情報を知って以降、「鯛の天ぷらを食べたら...
記事全文を読む→徳川家康の隠居時代、「ジュリアおたあ」という朝鮮人女性がいた。彼女を偲んで現在でも1年に1回、祭りが行われているという。ジュリアは豊臣秀吉が起こした文禄の役の際に平壌付近で保護されて日本に連れて来られた人物だが、生没年や実名、家系などは謎に...
記事全文を読む→NHK大河ドラマ「どうする家康」の主人公・徳川家康を大激怒させ、鋸挽(のこびき)の刑罰に処された武士がいる。大賀弥四郎という。武士に対する刑罰といえば、体面を重んじて切腹の沙汰が下ることが多い。ところが極刑中の極刑に、鋸挽がある。江戸時代な...
記事全文を読む→家康の性格については、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」などの句に象徴されるが、若い頃の家康は、直情的でせっかちな側面もあったようだ。性格や性癖は年齢によっても変わっていくのか疑問があると桐畑氏は言う。「家康は生涯に11男5女をもうけた...
記事全文を読む→今川方から独立した家康は、対立していた織田信長と和睦して同盟関係を結ぶ。これ以後、信長が死ぬまで同盟関係が続くことになる。桐畑トール氏は、信長との同盟はかなりヘンな同盟だと解説する。「信長との同盟(清洲同盟)と言ってますけど、対等な同盟なん...
記事全文を読む→徳川家康が天下人となった「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」などは、誰もが知る有名すぎるエピソードだが、その幼少期から青年期に至る家康の人生については意外に知られていない。歴史家の河合敦氏に家康の青年期について解説いただいた。「家康は東を今川義元...
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