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記事全文を読む→「徳川家康の指令」で初めて太平洋を渡った日本人がメキシコから持ち帰った献上品は「ワイン・ラシャ・シェリー酒」
現在はドジャースの大谷翔平ら、多くの日本人がアメリカに渡り、活躍しているが、初めて太平洋を渡航してアメリカ大陸、そしてメキシコの地を踏んだ日本人を知っているだろうか。江戸初期にいた京都の貿易商人・田中勝介という人物だ。別名を朱屋隆清という。
その渡航はエスパーニャ(スペイン)との交易を望む江戸幕府の初代将軍・徳川家康の命を受けてのものだった。江戸時代の初期は鎖国令などなく、家康は世界を相手に貿易をすることを考えていた。
田中は慶長15年(1610年)、日本使節の長としてヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)に渡った。当時のメキシコは、スペインの領土だ。
発端は慶長14年(1609年)9月、フィリピンのマニラからヌエバ・エスパーニャに向かっていたスペインのフィリピン総督ロドリゴ・デ・ピペーロが暴風雨に遭って、日本に漂着したことだった。
翌年、帰国を望むビベーロたちは徳川家康から提供されたサン・ブエナベントゥーラ号に乗って、相模国浦賀を出航。同年10月27日にカリフォルニアのマタンチェル港に入港し、11月13日にヌエバ・エスパーニャのアカプルコに投錨したという。
その後、田中はスペインには渡らず、ヌエバ・エスパーニャの副王ルイス・デ・ベラスコから派遣された答礼使セバスチャン・ビスカイノの船に乗って帰国。家康にワインとラシャ(羅紗=毛織物)を献上し、秀忠にはワインとラシャに加え、シェリー酒を献上したとの記録が残っている。
田中はキリストの洗礼を受けて、洗礼名はフランシスコ・デ・ベラスコとなった。もし、時代が少しあとになっていれば、日本には鎖国令やキリシタン禁止令が出されており、大罪人となる。田中の帰国は叶わなかったかもしれない。
(道嶋慶)
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