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Posted on 2025年10月05日 18:00

東京大学史料編纂所教授・本郷和人氏に聞いた「日本史“公然の秘密”をスッパ抜き!」

2025年10月05日 18:00

 日本史は年号や名詞の暗記より、人間同士の生臭い営みから読み解くと面白い。男女間の公然の秘密には、熱愛スキャンダル以上の妙味があふれているものだ。

 2026年のNHK大河ドラマは「豊臣兄弟!」だ。そこで描かれる実弟・秀長との関係だけでなく、秀吉に関する謎は多い。その出自、本能寺の変で信長の死を知るや速攻で帰還した進軍‥‥中でも最大級は「秀頼は本当に秀吉の子か」だろう。

 秀吉が多くの女性と関係を持っていたのは周知の事実だが、どの女性との間にも子は生まれず、淀殿との間にだけ二度も男児を授かった。これはなぜか? 東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏によれば、こうだ。

「この不可解な出来事について、歴史研究者がどれだけ考えても答えは出ません。私は産婦人科の先生方に聞いてみました。すると、皆さん揃って、『それは、秀吉に子種がなかったと考えるのが自然ですね。普通に考えれば、秀頼は秀吉の子ではないでしょう』とおっしゃいました」

 本郷氏は新刊『秀吉は秀頼が自分の子でないと知っていたのか「家」と托卵でひもとく日本史』(徳間書店)で、日本史における恋愛・婚姻・家の問題を記した。スキャンダラスな男女関係を抉った側面もあり、アサ芸読者なら間違いなくハマる一冊だ。

「『秀頼は秀吉の子どもではない説』に対して、一つの根拠を与えるエピソードがあります。それは淀殿は秀頼が戦場に立つことを極端に嫌がったというもの。関ヶ原の戦いの時は秀頼がまだ幼かったため仕方ないとしても、大坂の陣の時ですら『ここで負ければ豊臣家は滅ぶ』とわかっていながら、淀殿は秀頼を戦の最前線に出しませんでした。真田信繁(幸村)などが『秀頼様が出馬されれば士気が大いに上がります』と必死に進言しても、淀殿は最後まで首を縦に振らなかったといいます。結局、秀頼はなんの活動もしないまま、大坂城本丸の北側の一角・山里丸で切腹して果てることになります。

 なぜここまで淀殿は秀頼を表に出すのを嫌がったのか。私はこう考えます。『秀頼が、実の父親にあまりにもそっくりだったのではないか』と。つまり、誰もが顔を見た瞬間に『あれ? これはもしや秀吉様ではなく、あの方の子では‥‥』と察してしまうほど実の父に似ていたのではないか」(本郷氏、以下同)

 大野治長説や石田三成説もあるが真相は藪の中だ。

「秀吉という人物は、あまり細かいことは気にせず、『俺の愛した女が産んだ子なのだから、俺の子として育てる』と主張するくらいの度量を持っていたのではないか。血筋よりも『豊臣家が続くこと』こそが重要だったはずです。仮に秀頼の風貌が別の身近な男性に似ていたとしても、天下人である秀吉が『この子は俺の子だ』と言えば、それが真実になる時代でした。秀吉自身が自分の子として認めた瞬間に、その子は豊臣家の後継者となれたのです。秀頼の誕生こそ武士社会における『究極の托卵』ですね」

「托卵」とはカッコウが他の鳥の巣に卵を産みつけ、その鳥にヒナを育てさせる特異な習性を指す。この種の格好で家督をとった例が、本書には多数収録されている。血はつながらなくとも家をつなげ。当時はそんな不文律があったのだ。

 さらに本郷氏は、本書で徳川家康にも着目する。

「若い頃の家康の女性選びの基準を見てみると、実は『出産経験のある女性』ばかりに的を絞っているのがわかります。その裏にあったのは、確実に子どもをつくろうとする家康の計算高さでしょう。武士にとって、大切なのは『人』よりも『家』の存続です。のちに江戸幕府を築く家康にしてみても、家の存続は最重要事項でした。長男の信康という跡継ぎはいたものの、仮に女性と付き合うならば、相手の女性との間に、できるだけたくさんの子孫を残したいと考えるのは自然な流れでしょう」

 だが、その嗜好は一転。

「天下を安定させると、20歳にも満たない、現代でいえば少女ともいうべき女性を愛人にし、身の回りに侍らせるようになるのです。この豹変ぶりを察するに、当時の家康は『家の存続』という課題から解き放たれたことで、自由に自身の性癖を爆発させたのではないかと私は考えています」

 肩の荷が下りて、タガが外れたということか。

「家康が自身の愛人であった若い女性を2人ほど、自ら目をかけている有望な家臣に妻として与えたこともありました。『私がかつて愛した女性を君に譲る』という、この行為からは倒錯的な傾向があったと評してよいかもしれません」

 猛者は他にもいた。辞任を発表した石破茂内閣総理大臣から102代さかのぼる初代総理、伊藤博文だ。

「パートナーがいる女性にも遠慮なく手を出してしまう節操のなさで、あまりに愛人が多く『掃いて捨てるほどいる』という意味から、一時は『箒』というあだ名をつけられてしまったほど。明治天皇から『いい加減にしろ』と𠮟られたという逸話も残っています。

 また彼は鹿鳴館での舞踏会の最中、馬車の中で日本初の『カーセックス』を実践しようとした伝説の持ち主でもあります。その相手は、岩倉具視の娘で大垣藩主戸田家に嫁いだ社交界の花・戸田極子。当時の新聞にスッパ抜かれましたが、ここからが伊藤博文のユニークなところ。なんと戸田家の当主をウィーンの全権公使に任命し、極子の名誉を回復させたのです」

 政治家の醜聞と言えばあの変態不倫の「せんせい」、近年では元グラドルとの不倫で役職停止を食らった党代表もいたが、彼らとは違って、伊藤博文は事後の相手へのケアも巧みだった。

 婚姻が今ほど個人の自由にならなかった時代が、男女に様々な影響を与えていた。いつの時代も歴史は、男と女の業なのである。

本郷和人(ほんごう・かずと)1960年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所教授。専門は日本中世政治史。NHK大河ドラマ「平清盛」など、ドラマ、ゲーム、漫画の時代考証にも携わっている。著書多数。

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