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記事全文を読む→大河「豊臣兄弟!」で注目必至! 秀吉を支えた「最強の家臣」は誰だ?
来年のNHK大河ドラマは、豊臣秀長の生涯を描く「豊臣兄弟!」が放送される予定だが、織田信長の天下統一の野望を受け継ぎ、豊臣政権を樹立した秀吉の元には、臣下となった戦国武将がズラリと居並んでいた。
だが、その中で誰が最も強かったののか。知略、戦術、戦闘力、果てはその功績が個人か家臣団かにもよるが、ここでは世間を騒がせ“最強”を謡われた3人の武将を紹介しよう。
●海外からも恐れられた“鬼島津”
薩摩の武将・島津義弘は上洛した際、秀吉から羽柴姓と豊臣の本姓を与えられた親豊臣大名だが、1572年に起きた「木崎原の戦い」では押し寄せる3000人の伊東義祐軍をわずか300人の兵で撃破。この戦いは「九州の桶狭間」とも称された。
また、二度にわたる朝鮮出兵時には20万人の明軍をわずか7000の兵で打ち破ったことで「鬼石曼子(グーシーマンズ)」と呼ばれ、国内でも「鬼島津」の異名が広まった。
その武勇は後の天下分け目の「関ヶ原の戦い」(1600年)でも発揮され、西軍についた義弘軍は敗色濃厚になると、豪胆にも戦場の真ん中を敵中突破する方法で退却。これが世に名高い「島津の退き口」と呼ばれる戦術だが、島津軍はこのとき徳川本陣に肉薄して大きな損害を与え、家康を震え上がらせたと言われている。
●参戦していれば「徳川の世は来なかった」と称賛される“最強武将”
本多忠勝は生涯に57回出陣。一度も負傷しなかったことで“東軍最強の武将”と呼ばれるが、これに対峙する“西の最強武将”が立花宗茂だ。
地味な武将で知らない人も多いと思うが、九州豊後国の戦国武将である宗茂の戦績はなんと十割、「無敗を誇った」と評判なのだ。
大友宗麟の家臣だった宗茂は、秀吉の九州平定の際に大功を挙げ直臣に。ゲリラ戦を得意とし、朝鮮出兵時には大きな戦功を挙げ、夜襲によって包囲された加藤清正を救出したこともあったという。
その宗茂の名をさらに高めたのが「関ヶ原の戦い」だ。西軍に味方した宗茂は東軍に寝返った京極高次が籠城する大津城攻めに参加したが、その間に関ヶ原の戦いが勃発。わずか1日で雌雄を決したため、参戦がかなわなかった。評論家の間では「この西軍無双の武将が参戦していれば、東軍が勝つことはなかった」と惜しまれているのだ。
●家康を3度も追い詰めた義の猛将・真田信繁
何をもって「最強」と呼ぶかは難しいところだが、外せないのが真田信繁(幸村)だろう。
信繁は父・昌幸ととも「関ヶ原の戦い」に向かう徳川秀忠を権謀術数の戦略で足止めした報いで高野山に追放されたが、1614年に起きた「大阪冬の陣」に参戦。「真田丸」と呼ばれる出城を築いて応戦し、武勇を天下に知らしめた。
「大阪城の堀を埋める」という条件付きでこの戦は和睦となったが、翌年には「大阪夏の陣」が勃発。豊臣方の敗色が濃くなる中、信繁は茶臼山に陣をしいて3度も徳川本陣を急襲し、休んでいたところを打ち取られたのである。
一説には、後に「日本一兵(ひのもといちのつわもの)」とも称賛された信繁の獅子奮迅の働きにより「一時は家康も切腹を覚悟した」とも伝えられている。
(伊東アキラ)
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