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記事全文を読む→豊臣秀長が生きていれば関ヶ原は起きなかった? 大河で描かれる「最強の弟」の知られざる功績
来年放送予定のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」は、俳優の仲野太賀演じる豊臣秀吉(池松壮亮)の弟・秀長が主人公の戦国ドラマだが、実はこの人物は「豊臣政権を支えた最大の功労者」との異名はあるものの、全国的な人気はいまひとつ。信長や秀吉、家康、さらには群雄割拠の武将がひしめく時代に秀吉の“補佐役”だったことが最大の原因だが、そのためか功績や人物像においては知られざるエピソードも多いのだ。
「その筆頭とも言えるのが、勇猛な戦功。秀吉より3歳年下の秀長は温厚な性格と評されたが、秀吉に誘われ21歳で農民を辞め織田家に仕官。美濃攻めで秀吉が『墨俣一夜城』を築いた際には土豪を取りまとめる驚異的な外交手腕を発揮した。織田軍が朝倉、浅井軍に挟み撃ちにあった『金ヶ崎の戦い』(1570年)では殿(しんがり)を務めた秀吉に従い、最も危険な役目と言える金ヶ崎城に立て籠もり、押し寄せる敵を蹴散らす鬼神ぶりも見せつけたのです」(歴史ライター)
同様に信長亡き後に天下統一を目指した秀吉は、一揆を煽る寺社勢力の排除を試みて紀州征伐(1585年)を行ったが、その総大将となった秀長は僧兵が立て籠もる根来寺の焼き討ちを断行。寺社勢力との争いは秀長が大和・和泉・紀伊国三か国の領主となったのちも続き、興福寺や東大寺をはじめとする寺社の保護政策を用いて懐柔したこともあったという。
ちなみに、寺社つながりの逸話としては、居城であった大和郡山城(奈良県)の石垣に墓石や石仏、五輪塔なども使われた。石仏は58基、地蔵は200基にも及んだが、これは当地が石の取れない地層だったことに加え、乱立した寺社勢力に対する牽制とみられている。
もっとも秀長の場合、興味深いのはその横顔だろう。豊臣政権で内政を担当し、勇猛にして温厚怜悧だった秀長は千利休とも交流が深く、多くの名物(茶器)を所持していたとされる。生前は居城や京都の聚楽第でも茶会を開き、みずから茶をたてていたとも伝えられているのだ。
「また、秀吉は朝廷から豊臣の姓を賜る前は『羽柴』性を名乗っていたが、一部の歴史研究家によれば、秀長が信長の命で丹羽長秀に仕えていた頃に、秀吉より早く名乗っていたとの説がある。秀吉が織田家重臣の丹羽長秀と柴田勝家の名から一文字ずつ取って作ったとされるあの逸話は、実は秀長のことだった可能性もあるのです」(前同)
「癇癪持ちで知られる秀吉をなだめられる唯一の存在だった」とも伝えられる秀長は1591年に52歳で病死したが、多くの歴史学者が「生きていれば関ヶ原の戦いは起きなかった」と口をそろえるほど。死後、豊臣恩顧の諸大名の分裂を招いたためだが、その意味でも秀長は替えの利かない“豊臣政権の大きなハブ”だったことがうかがえるのだ。
(伊東アキラ)
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