太平洋戦争で敗れ、全土が焦土と化した日本に、球児たちの白球の響きが戻ってきたのは1946年。敗戦のわずか1年後のことだった。この年に開催された第28回夏の選手権大会で戦後初の優勝校となったのが浪華商(現・大体大浪商=大阪)である。現在までに...
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8月5日に開幕する「全国高等学校野球選手権大会」は、100回を記念して、過去最多の56校が参加する。従来の北海道や東京に加え、大阪・愛知・千葉・埼玉・神奈川・兵庫・福岡の主要都市でも2校ずつが出場する。さらに、記念大会らしく開催中は連日、甲...
記事全文を読む→これまで夏の選手権で連覇を達成したことのあるチームはわずかに6校しかない。その第1号が1921年~1922年の和歌山中(現・桐蔭)である。この和歌山中は夏の選手権の第1回大会から第14回大会まで14年連続出場を果たしており、甲子園の創世記に...
記事全文を読む→米騒動が原因となって開会式直前に中止となった1918年の第4回大会。その翌年に開催された第5回大会は、開催前にはほとんどノーマークだった神戸一中(現・神戸)=兵庫=がスイスイと勝ち進んで優勝する展開となった。予選が始まるころにサードだった山...
記事全文を読む→今年で記念すべき第100回大会を迎える夏の全国高校野球選手権大会。当然、前回大会までの優勝校は99校…と思いきや、実は97校しかない。実は過去に2回、本大会が開催されなかったことがあるのだ。そのうちの一つが41年の第27回大会。当時、勃発し...
記事全文を読む→1915年(大正4年)に産声を挙げた現在の高校野球夏の選手権大会。その第1回全国中等学校優勝野球大会が行われた球場は現在の甲子園球場ではなく、大阪府にあった豊中球場(第2回大会まで)だった。東北、東海、関西、九州地区で開催された地方予選参加...
記事全文を読む→100回目の記念大会を迎える夏の甲子園大会は、予選から波瀾の連続だった。センバツ4強の三重、同8強の日本航空石川、絶対王者であるはずの大阪桐蔭も準決勝で「9回二死2ストライク」まで追い込まれた。強豪校が一般校に敗れるのは、なぜか…。そこには...
記事全文を読む→現在、岩手県の高校野球は花巻東と盛岡大附の2強時代に突入している。2008年から17年までの10年間、夏の甲子園出場回数は花巻東が4回、対する盛岡大附が5回とほぼ互角。この両校は12年から3年連続、岩手県予選決勝で顔を合わせており、この間は...
記事全文を読む→1998年に甲子園11連勝を記録し、史上5校目の春夏連覇を達成した横浜(神奈川)。その中心にいたのが“平成の怪物”松坂大輔であった。彼を“平成の怪物”へと進化するために、どうしても必要だったのが、松坂が高校2年生時の97年第79回夏の選手権...
記事全文を読む→1990年代初頭の神奈川県は完全な“2強時代”に突入していた。91年、92年の夏の県予選は2年連続同一カード。桐蔭学園と横浜が激闘を繰り広げ、2年連続で桐蔭学園が勝利した。そして、その中心にいたのが類いまれな野球センスでのちに世代を象徴する...
記事全文を読む→2012年の第94回夏の選手権で1試合最多奪三振22を含む計4試合で68奪三振をマークし、甲子園を沸かせた松井裕樹(東北楽天)。この時はまだ2年生ながらもすでに桐光学園(神奈川)のエースナンバーを背負っていたので、その翌年の春夏の甲子園で、...
記事全文を読む→昨年、日本プロ野球史上50人目となる2000本安打を達成した鳥谷敬(阪神)。チームの生え抜きとして、精神的支柱として、もはや欠かせない存在となっている。鳥谷は高校時代から聖望学園(埼玉)が誇る強肩強打のショートとして、スカウトから熱い視線を...
記事全文を読む→野球はサッカーやラグビーといった時間制のスポーツではない。そのため、どんなに大差で負けていても、最後の1アウトを取られない以上は“逆転”の可能性が残されている。とはいえ、今年で100回の歴史を数える高校野球においてでも、いわゆる9回2死から...
記事全文を読む→2018年現在、大阪府の高校野球界は大阪桐蔭と履正社がその勢力図を2分しているが、履正社が台頭する前は大阪桐蔭とライバル関係にあったのは、名門・PL学園だった。その両校が初めて夏の大阪府予選の決勝で対戦したのが2004年。この年、大阪桐蔭は...
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