神奈川の強豪・横浜で1年生時から4番を任され高校通算で69本塁打を放った筒香嘉智(横浜DeNA)。2008年、高校2年時の夏の第90回選手権では1試合個人最多タイとなる8打点をマークするなど大活躍を見せたが、翌年は春夏ともに予選で敗退し、甲...
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日本列島を襲う猛暑に多くの人々が熱中症を訴える中、人気キャスターの小倉智昭が禁断の高校野球批判を展開し、注目を集めている。7月19日放送の情報番組「とくダネ!」(フジテレビ系)では「40℃超猛暑列島」と題して、大阪府の中学校でクラス対抗リレ...
記事全文を読む→戦後、史上初の5季連続出場を果たした投手といえば、今回は惜しくも予選四回戦で姿を消した早稲田実(東東京)=当時=の、荒木大輔(元・ヤクルトなど)である。その荒木が最も苦戦した予選決勝戦が1982年第64回夏の選手権の東東京都大会。荒木、高3...
記事全文を読む→2007年、第89回夏の選手権から昨年の第99回大会まで11年連続で福島県代表として出場中の聖光学院。この11年連続出場という成績は戦前に和歌山中(現・桐蔭)が打ち立てた14年連続に次ぐ史上2位の連続出場記録で、もちろん戦後では最長となって...
記事全文を読む→夏の高校野球選手権の第1回大会が最初に開催された1915年から100回大会を迎える今年まで予選皆勤校はわずか15校。その中に鳥取県と島根県からそれぞれ2校残っていることはすでに紹介済みだが、なぜ野球強豪県でもないこの両県で計4校も残っている...
記事全文を読む→1915年に第1回大会が開催された夏の高校野球。その予選に参加したのは全国でわずか73校だった。以来、今年の第100回に至るまで1度も欠かさずに地方大会に出場している“皆勤校”がどれくらい存在するか、ご存知だろうか。その伝統を守り続けている...
記事全文を読む→高校野球の県予選は、本大会の甲子園と違って大量得点差がついた場合、コールドゲームの規定が適用される。5回終了で10点差、7回終了で7点差などがあるが、県によってその規定は様々である。だが、コールドゲーム規定がなかったために、かつてある県の夏...
記事全文を読む→夏の甲子園が第100回を迎える今夏から、延長戦での「タイブレーク方式」(延長13回から無死一、二塁で12回までの打順を引き継ぐ形で開始する)が導入されることになった。この制度によって延長戦での名勝負が生まれる可能性が極めて低くなったと言える...
記事全文を読む→甲子園の地元である兵庫県の高校は今回の春の選抜には出場していないが、同県の名門・報徳学園は過去に2度、春の選抜を制している。最初は1974年第46回大会。この年は今や高校野球では定番の金属バットが正式に導入される前の“木製バットオンリー”だ...
記事全文を読む→現在、春の選抜の優勝回数3回で2位タイに並んでいる5校のうち、3度の優勝すべてを戦前に成し遂げたチームがただ1校ある。東海の古豪・県岐阜商である。当時は岐阜商の校名だった同校は、岐阜県勢で春夏の甲子園唯一の全国制覇経験校でもある。初制覇は1...
記事全文を読む→2007年第79回春の選抜で静岡県勢としては史上4校目となる優勝を飾った常葉菊川。その原動力は高校野球の基本ともいえるバントを封印した“超攻撃的”な野球スタイルを貫いた打線だった。初戦でいきなりこの年のドラフトで高校ビッグ3と呼ばれた剛速球...
記事全文を読む→春の選抜で初めて北陸のチームが優勝したのは2015年の第87回大会のこと。エース兼4番として獅子奮迅の活躍を見せた平沼翔太(北海道日本ハム)擁する敦賀気比(福井)がそのチームである。平沼はこの前年夏の甲子園でも2年生ながらエースとして3試合...
記事全文を読む→現在まで夏の選手権での最多優勝回数は、何と7回。東海の名門・中京大中京(愛知)が誇る輝かしい成績である。同校は、同じ愛知県のライバルである東邦と並ぶタイ記録ながら、春の選抜でも史上最多4回の優勝に輝いている。最初の優勝は1938年第15回大...
記事全文を読む→現在、春の選抜では歴代2位タイの優勝回数3回を誇る横浜(神奈川)。その最初の優勝が1973年の第45回大会である。この時の主軸がエース・永川英植(元・ヤクルト)と強打の3番・長崎誠(プロゴルファー)。初戦の小倉商(福岡)戦から劇的な展開が待...
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