68年2月、暴力団2人をライフル銃で射殺したあと、人質13人をとり、寸又峡温泉に90時間立てこもった金嬉老(41・当時)。テレビでも実況中継されただけに、まだ記憶に残っている方も多いに違いない。アサヒ芸能はネットワークを駆使して、金嬉老の愛...
記事全文を読む→週刊アサヒ芸能 創刊60周年特別記念号
吉展ちゃん誘拐、ライフル魔・金嬉老、コンクリート詰め殺人…警察の捜査をあざ笑うような、いままでの常識が通用しない、日本の事件史に残る凄惨な殺人事件が次々に起こった1960年代。これは行き過ぎた高度経済成長のゆがみから生じた亀裂を象徴していた...
記事全文を読む→オリンピックの翌65年、証券不況から立ち直り、57カ月続いたイザナギ景気が始まった。68年暮れのボーナスはしめて“2兆円余”、史上空前の数字である。某社では部課長クラスで100万円、別の某社では勤続10年で40万円、もうひとつの某社では大卒...
記事全文を読む→66年6月29日午前3時39分、ビートルズが来日した。日航から贈られたそろいのハッピを着て、羽田空港からタラップを降りてくる4人のメンバー。しかし、警備が厳重なため、彼らのハッピ姿を見られたのは、関係者と250人の報道陣だけだった。2000...
記事全文を読む→1950年の朝鮮戦争特需により、日本の高度経済成長は1960年代に加速した。力道山婚約、東京五輪、ビートルズ来日などに国民がわきにわいた。いわばアメリカのおすそ分けの繁栄を国民は謳歌したのだが…。力道山はルー・テーズとの歴史に残る死闘などで...
記事全文を読む→ベトナム戦争が激しさを加えると、アサヒ芸能は独自の切り口で現地報道を行った。その第1弾として、戦場カメラマンの草分けでピューリッツア賞を受賞した沢田教一氏は、連載「新日本・夜の五十三次」番外編に『ベトナムの“バカヌク娘”万歳!』を発表してい...
記事全文を読む→樺美智子さんは60年6月15日のデモで全学連主流派が衆議院南通用門から国会に突入した際、警官隊と衝突して死亡した。アサヒ芸能1960年7月3日号では、国会構内に運び出された樺美智子さんの血の気がうせている写真を掲載している。──「娘は殺され...
記事全文を読む→全学連の安保反対と樺美智子さんの死、海外ではベトナム戦争が激化し、時局は混沌とした。ゼンガクレンは海外に名をとどろかせ、その後の70年安保から赤軍派の武力闘争へとなだれこんでいく。また65年、米軍が北爆を開始してベトナム戦争は泥沼になった。...
記事全文を読む→庶民の娯楽といえば映画が一番人気だった昭和30年代、日活のみならず日本を代表する人気スターだった石原裕次郎。彼が、56年の「狂った果実」以来、数多くの映画と共演したウワサの北原三枝と北海道へ婚前旅行、という情報を記者は手にいれた。その聞き込...
記事全文を読む→1959年、4月、皇太子明仁親王が正田美智子さんとご成婚、民間人で初めて皇太子妃になられた。そして国民から圧倒的人気を集め、ミッチー・ブームが起きた。しかもドミノ倒し効果か、前年の婚約発表以来、結婚したい男女が激増したのである。相手探しに悩...
記事全文を読む→1950年代の日本は、街頭テレビが登場するなど、茶の間にテレビ文化が浸透しはじめた時代である。庶民の好奇心は、国民的スターだった、ひばり、ミッチー、裕次郎らの一挙手一投足、その私生活の秘密を知ることに寄せられた。有名人の私生活を根掘り葉堀り...
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