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記事全文を読む→「猪木VSアリ」38年目の死闘“新”事実!(1)世紀の一戦は茶番劇でではない
「格闘技世界一決定戦」──。格闘技全盛の今でもこの冠が似合うのは、1976年6月26日に挙行されたアントニオ猪木VSモハメド・アリの一戦をおいて他にないだろう。あれから38年、“幻の映像”と言われた試合の一部始終が、ノーカットでついに日の目を見た。しかし、その舞台裏にはカメラには映らない死闘があったのだった。
「試合後、『猪木VSアリ戦は茶番だ』という声が上がりました。とんでもない。アリはファンの前では軽快なステップを踏み、試合後悠然と歩いていたが、実はエレベーターに入り、扉が閉まると、そこに倒れ込んだんです。猪木のキックで足に血栓ができていた。試合後、取り巻きのアリ軍団の中に韓国出身の人物がいたため、韓国の朴正煕(パクチョンヒ)大統領を表敬訪問しなければならなかった。実際の血栓の状況は、予断を許さない状況で、そのためケガがよけい悪化し、タイトルマッチも延期したほどですよ」
そう熱く振り返るのは、“過激な仕掛け人”としてアントニオ猪木対モハメド・アリ戦の一部始終を見届けた元新日本プロレス専務取締役の新間寿氏だ。
今からちょうど38年前の6月26日、日本武道館で「格闘技世界一決定戦」と銘打ってマッチ・メイクされた“世紀の大一番”は試合後、一度も映像化されることはなかった。ところが38年の時を経て、ついに禁断の映像が「燃えろ! 新日本プロレス 至高の名勝負コレクションエクストラ」(集英社)として“解禁”となり空前のヒットとなっているのだ。
だが当時、この世紀の大一番には試合後、「世紀の凡戦」「茶番劇」といった評価が飛び交った。それもそのはず、プロレスラーとボクサーの対戦ながら、派手な技の攻防はほとんどなく、猪木がリングの中央で寝転がる一方、アリがパンチのチャンスを狙うという“にらみ合い”が15フルラウンドのほとんどを占めたのだ。日本ではテレビ朝日が昼の生中継と夜の録画放送を独占。しかし試合後は、全国紙の新聞までもがバッシングする騒動となったのだ。
当時、アリ戦に向けて、猪木のトレーニングパートナーを務め、試合当日もリングサイドでセコンドを務めたプロレスラーの藤原喜明が言う。
「当時、したり顔をして、“茶番”だと言う連中を見ると我慢ならなかった。ホント、ぶっ殺してやろうかと思ったほどです。試合前も非常にピリピリした状態で、常に命の危険もあった。漏れ伝わってくるアリサイドとの舞台裏を聞くと、アリ軍団にはピストルを持っているヤツが2人もいるというじゃないですか。もし、アリが負けるようなことがあると、何が起こるかわからない。その時は自分が盾になるんだと命がけだった。そもそも出来レースならもっとおもしろくしますよ。真剣勝負だったからこそ、ああいう展開になったんです」
その後、90年代の総合格闘技ブームを嚆こう矢しとして「猪木VSアリ戦」は再評価され、打撃と寝技を得意とする選手同士の攻防として、歓声が沸き上がるような場面となった。新間氏が言う。
「正直、私も忸怩(じくじ)たるものがあった。後日、UFOの川村龍夫社長が、グレイシー柔術の連中にアリ戦のビデオを見せたら、称賛の嵐だったと言ってくれたのがせめてもの救いだった」
実に、「世紀の茶番劇」が文字どおり「格闘技世界一決定戦」と認知されるまでに20年もの歳月を要したのだ。
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