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記事全文を読む→国家の品格・藤原正彦 戦後70年の“日本の品格”と“未来への提言”(2)GHQが日本の歴史を否定!
── 敗戦の時、藤原さんは2歳だった。母の藤原ていさんは、藤原さんら幼い子供3人を連れて日本に引き揚げた。その壮絶な苦労はベストセラーになった藤原てい「流れる星は生きている」に描かれている。空襲で焼け野原になった日本で藤原さんは育った。
米軍の爆撃で焼け野原になったところから、戦後の日本人は立ち上がりました。食べるものも着るものもない。戦地から200万の兵士が復員してきましたが職もない。
昭和20年代は、誰もが腹をすかせていました。私の家でも白い御飯に麦を混ぜ、それと味噌汁と漬物だけの食事でした。
それでもみんな幸せだったんです。私たち親子は家族5人全員が無事に日本に帰ってくることができました。母と私たち3人の子供は満州から帰ってこられた。父もシベリアの収容所から帰ってきました。奇跡的なことです。食べるものも着るものもなかったけれど、毎日がうれしくて楽しくて幸福な日々でした。ラジオから流れてくる笠置シヅ子の歌に笑い、焼け跡には燦々と太陽の光が注いでいます。とにかく平和で幸福でした。私の人生の中で最も幸福な時期です。
物質的な豊かさ、経済的な豊かさは、幸福とは何の関係もありません。あの頃の日本人は苦しくてもみんな幸せでした。
ところが日本を占領したGHQによって、戦前のことは全て否定されてしまいます。彼らの唯一の目的は、二度と日本がアメリカに歯向かわないようにすることでした。日本を民主化しようなんていうのは関係ないことです。何しろ日本は聖徳太子の頃から民主国ですから。和をもって貴しとなす。独裁者を嫌い、独裁者がいたことのない、世界でも珍しい国です。
アメリカは日本人が復讐するのではないかと恐れていました。何しろ広島と長崎に原爆を落とし、無辜〈むこ〉の市民を大量虐殺しましたから。戦場で兵士が敵兵を殺すのは犯罪ではありませんが、非武装の市民に原爆を落とすのは最悪の犯罪です。それだけではない。
戦争末期、アメリカ軍は殺人ゲームを楽しむように日本中を爆撃しました。例えば東北の花巻市が空襲されたのは1945年8月10日です。温泉と畑ぐらいしかない、老人と子供しか残っていない街を。
復讐を恐れたアメリカがやったのは、日本人に深い罪の意識を抱かせることでした。そして、日本の歴史や文化、伝統をことごとく否定しました。戦前は真っ暗な時代だった、日本の戦前の歴史の全てが戦争につながる誤りであった、と教え込んだのです。エリートを公職追放し、旧制中学・旧制高校の教養教育を潰しました。その代わりに徹底した愚民化政策を取りました。新聞や雑誌、ラジオは検閲して、日本の過去を賛美させず、GHQの批判や広島・長崎への原爆投下の批判を封じ込めました。
◆プロフィール 藤原正彦(ふじわら・まさひこ) お茶の水女子大学名誉教授。43年旧満州新京生まれ。新田次郎、藤原てい夫妻の次男。東京大学理学部数学科大学院修士課程修了。78年「若き数学者のアメリカ」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。10年「名著講義」で文藝春秋読者賞受賞。「国家の品格」「日本人の誇り」など著書多数。
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